味を占めたので、何度でもやるのです。まさに煽てられて木に登りまくる猿です。(笑)
昨夜の大河見ましたか?
こぐ、ダッシュ見て、大河見て、ん~、さすが三谷作品ってのが初回の感想です。うむ。
今朝は掃除して、昨日と逆に海の方に歩いてきました。
ハーバーランドから2号線へ、お稲荷さんの隣に平経俊のお墓があります。
一之谷合戦で命を落とした敦盛のお兄さん(清盛の弟の子)ですね。
生田の森での戦いを経て、ここまで逃げてきたんですけどねぇ。享年22歳。
2号線と和田岬方面への別れ三市、湊惣門まで歩いて行くと七宮神社があります。
昨日行ったのは五宮神社でしたね。八宮/六宮は大倉山駅のそば、
四宮は山麓線を新神戸方面に歩いて行くとあります。三宮神社は大丸のそばですね。
一宮と二宮は三宮より東にあるので、最近行ってません。
和田岬方面へ歩いて行くと、兵庫運河の端に出ます。
あちこちに、これでもか的に清盛が登場します。
本人もまさか800年後にこんなことになってるなんてびっくりだな?(笑)
大輪田の泊。古の神戸港です。
清盛はここを基盤に宋と貿易をして富を築いたそうです。
大輪田の泊を整備するときに、沖合に経ヶ島という防波堤の役目をする島を築いたのですが、
工事が難航したため、人柱を入れることになりました。
その時、罪ない人を殺めないでと自ら人柱になった松王という少年のお墓です。
四国のとある殿さまの嫡男だったんですが、清盛にかわいがられてたそうなんですね。
無事工事は終了したそうです。享年17歳。
大輪田の泊から兵庫城跡の方に向かいます。
兵庫運河です。ここが昔の海岸線なんですね。
地下鉄海岸線もこの下を通っています。
左手は中央卸売市場だったそうですが、今はイオンになってます。
大輪田橋のたもとに、清盛塚があります。
築かれたのは1200年代後半のようですが、
後年市電工事に伴って10mほど移転する際に調べたら、人骨のようなものは見つからなかったそうです。
清盛塚の隣には琵琶塚があります。
平経正(先に出てきた経俊のお兄さんです)のお墓と言い伝えられているそうです。
経正は平家一門にあって文武共に優れた優秀な人だったそうです。
平忠度(清盛の弟)と同じですね。
一之谷合戦で命を落としたそうです。
生年月日不明なのですが、兄弟と同じく1184年に亡くなっていますので、おそらく20代半ばだったのではないかなと。
兵庫大仏にやってきました。
大仏さんが有名なのですが、清盛の菩提寺とされています。
神戸事件(まさに三宮神社前で起きた事件です)の落とし前をつけさせられた、
備前藩の滝善三郎のお墓もあります。
生麦事件を起こした薩摩藩はのらりくらりと逃げ切れたんですけどねぇ。
境内の片隅に、源平合戦の戦死者を弔う供養塔が集められていました。
確か長田の村野工業高校の裏に源平合戦勇士の碑ってのがあったんじゃなかったかな?
ともあれ、双方、若い人がたくさん亡くなったんでしょうね。
後年、同じ地で足利と楠木が戦い、信長と荒木村重が戦い、
何の因果か、盛者必衰とはホントなんですねぇ。
ってことで、今日の散歩は終わりです。
約2時間半、歩数は1万5千歩でした。もちろん重り付けてますよぉ。≧∇≦ブハハハハハ









