枯草や | こぐーの我楽多日記

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雨にも負けて、風にも負ける。東に行って迷走し、西に戻って混乱する。ヽ(´Д`;)ノアゥア...

舞台は上月城合戦へと移るのであります。(((*≧艸≦)ププ 

宇喜多と尼子の戦い、いやいや日本と韓国みたいなもんで、 

これ実態は毛利と織田の戦いでしたな。

 

山名、赤松の争いから、宇喜多にとって代わり、

新宮党と呼ばれた尼子勝久がここに入りましたが、

毛利の大軍に囲まれて落城したという謂れです。

秀吉は何とか援護したかったようですが、

信長の主目的は三木城(昨年?ネタにしましたが)の攻略だったので、

後詰をなくして落城、尼子一等は自害、かの有名な山中鹿之助も捕らえられるという事態に。

まさに栄枯盛衰なのであります。

 

智頭鉄道に乗って隣の駅へ。

歩いてもいいけど城巡りの時間が無くなるのですよ‥。

それに隣の駅っていっても4キロはありますので…。

 

落ちない城として有名な白旗城です。

時期的に受験生の絵馬が掲げられることが多いのだそうです。

その割にはきつい山城でした。もちろん、だからこそ落ちなかったわけなんでしょうが。

 

時は上月城合戦より遡って太平記の頃です。

朝廷より離反した足利尊氏を討とうとする新田義貞軍6万の軍勢を、

この城に引き付けわずか2千人で50日間足止めさせたという、

後年の上田城の戦いを彷彿させる戦いが広げられた地です。

その結果、尊氏は湊川の戦で義貞を破り、楠木正成は自刃、楠公一門滅亡となるわけです。

山腹には激戦で亡くなった兵士たちの五輪の塔が草生していました。

 

城への道は岩場の直登で、画像ではわかりにくいかもしれませんがかなりの勾配です。

いつも思うのは、これ昔の人は袴とか草鞋で登るの、相当大変だったろうなぁと。

雨の日もあるわけですしね。

トレッキングシューズでもかなり大変でした。登り口からおよそ1時間、こういう状態です。

 

本丸跡には、何時のものかもわからぬ祠がひっそりと建ってました。

受験生が掲げたと思われる絵馬がいくつかありました。

 

そういえば遠い昔こぐも受験生でしたが、神社にお参りした記憶ないなぁ?

人生で二番目に勉強したのは覚えてますが(その時点では人生で1番目だったわけですし)。

因みに一番勉強したのは商船学校卒業前です。

卒業論文仕上げなきゃいけなかったし、国家試験の雨あられだったし。(((*≧艸≦)ププ 

ともあれ、頑張れ受験生!