
浅田次郎がJALの機内誌に寄せているエッセイ、つばさよつばさに、こういう話があった。
驟雨の台北の町を歩いていて、ふと店先に風呂桶を置いてある店に出遭った。
店主は店先で雨空を眺めていたが筆者を認めて、「いらっしゃい、よく降るねぇ」と声をかける。
「あれ?日本人だと思ったけど、違ったか?」と筆者に微笑みかける店主。
その林田桶店という店名に、林ではなく、林田というところにも興味をひかれ、
店主と話しこみ、お櫃を贖うのだけれど、
台北駅からホテルに向かって歩いていて、偶然そのお店に出遭った。
あ~!ここだぁ!って思ったわ。
あいにく店は閉まっていたけど、休みなのかな?と思ってた。
見るからに昭和というか、古い店でしょ?浅草河童橋あたりで見かけそうな?
話の中で筆者は尋ねる、「日本の方なんですか?」
店主は、「昔は日本人だよ、いまでもそのつもりだがね」と。
これを読んだときこぐは、
親の世代に台湾に渡り、それからずっとこの町で暮らしてきたよ、っていう意味だと思ったのね。
だけど、今回初めて、全く意味が違っていたことに気付いたわ。
その昔、日本人として生きていくことを強いられ、日本人として生きていた、
その慣習をいまも引きずる自分は、いまでも日本人としてしか生きていけなくなっている、っていう意味なんだと。
鮮やかな下町の言葉で話す店主は、桶作りの技術を磨こうと東京に行ったけれど、
既に、どこにもそういう桶屋はなくなっていて、川越でやっと眼鏡に適う桶屋を見つける。
帰国してすぐに、この林田桶店について調べてみたら、
思った以上にいろいろな情報を見つけることが出来たわ。インターネットって便利だ。
先々代の時代からやっている店で、日本的に職人として技術を仕込まれたこの店主は、
残念ながら数年前に亡くなったらしい。
国が違うから変な言い回しだけど、最後の昭和の人といった風情だったとか。
そういえば既に幽冥ことを境にした祖父母たちは、生活に藁を利用したり、杉で作ったお櫃を使ったりしてた。
戦後生まれのこぐがいうのもなんだけれども、貧しかった時代に凛として生きていたんだと思う。
飽食の時代といわれる今、この店に遭えたのは何にも増す自分への土産だったわ。