ごきげんよう | こぐーの我楽多日記

こぐーの我楽多日記

雨にも負けて、風にも負ける。東に行って迷走し、西に戻って混乱する。ヽ(´Д`;)ノアゥア...

イメージ 1


練習船がハワイに向けて出航したみたいね。
例年この時期だもんね。
こぐの時は1月7日、昭和64年のね。ドタバタで出航が遅れたんだったな。
すべての書類を平成に直さなきゃならないってね。


出航の時に、こうやって練習生がヤードの上で帽子を振って、ごきげんよう、って叫ぶんだけど、
それも中止だったな。喪に服すんだってさ。
これだけが晴れの舞台なのに、なんてことだ!って思ったけどしょうがないもんね。
5つの商船学校の学生が半分ずつ日本丸と海王丸に乗ったんだったな。


帆船って、見るものであって乗るもんじゃないってのがこぐの持論。
ホントきついんだわ。
旧海王丸だったから、もうすごいおばあさん船だったしね。
4畳くらいの部屋に8人で寝るから狭いんだわ。
風がないと走らないから、わざと天気の悪い方に行くしさ。
そりゃもう揺れるんだわ。
寝てる最中にタック(風に向かって走る向きを変えること)すると、傾きが変わるんで、
起きて寝る向きを直さないと、頭に血が上っちゃうんだわ。
ヨットと一緒で傾いて走る船だからね。
真夜中でも、雨に濡れながら、凍えながら、4時間甲板で立ってたりするのは、
もう絶対やりたくないもんね。あ、滑るのを防ぐために甲板ではずっと裸足なのね。


コンピュータ制御の船の現代、
ある意味そういう生活をさせるから、商船士官精神ってのが身に付くんだろうけど、
やってるときは、いやでいやでしょうがなかったもんなぁ。
日本では実習生とか練習生って呼ぶけど、英語では士官候補生だから、
上陸の時なんかは制服なのだ。
外面は女の子にもてる格好だけど、中身は結構ぼろぼろだったなぁ。(((*≧艸≦)ププ 


大連の仕事は、その船に乗ってた時の同じ班の機関科同期生と一緒だった。
あのとき大変だったよな~って話で盛り上がったわ。
あの生活を一緒にしてきた奴らとは、何年ぶりに会ってもすぐうち解けることができるな。