
彼らがもっとも心のよりどころとするもの。
プミポン国王もそうなんだけど(街の至る所に肖像画が飾られてた。空港の正面にも)、
なんといっても仏教なんだよね。
ただ、日本の仏教とはちょっと違ってて、
彼らに聞くと、神様、っていう言い方をしていたな。
船の舳先に、お供え物があった。
これは、自分たちのためではなく、こぐたちのため。
船が安全に航海を続けられるようにと。

船倉の横にも、花が供えてあった。
これは自分たちのため、荷役作業が安全に終わるようにと。

船倉のハッチ、排水溝にも花が供えてあった。
これは、貨物(麦)がこの国の皆を潤すようにと。
彼らは物的には貧しいけれど、人としては豊かなのかもしれないな?
自分が、食べるものもあまりなく、いい服もなく、その日暮らしなのに、
他のものために祈ることができるんだから。
どんなものにも神様がいる、っていう考え方は、
日本にも昔はあったそうだけど、今はそういう感じでもないしね。
神様なんて、正月と、困ったことが起きたくらいしか、思い出さないでしょ。
でも彼らは、日常生活の中に、こうして神様への思いがあるんだな。
そりゃ、毎日が幸せなわけだ。
神様にお願いをするってのは、
なんとかしてください!っていうんじゃなくて、
こうするから見ててください!っていう願いかただし。
きっちりした服を着て、ブランド物の腕時計をして、
朝昼晩、給仕付きで食事をしているこぐより、
彼らの方が、ずっと裕福に見えてしまうのは、
心の余裕が、人としての充実が、満たされているからなんだろうな。
