
実は母校はなくなっちゃったのね。
物理的にはあるんだけど、統合ってやつでね。
こぐの母校は、東京海洋大学(旧東京商船大)ではないんだわ、念のため。
他の姉妹校卒業生には、同情されてんだか、笑われてんだか、
よくわからない態度されるんで、怒るに怒れず、泣くに泣けず、もうなんていうの?
あい~ん?、志村けん的な?平成には理解されんね?
FBに、上級生のネタが載ってて、ん~、わが母校をよく表してるわ、って思った。
「十年くらい前に、学校の先輩でもある担任教官に聞いた。
部屋の人数より一人分足りない掃除道具しか用意されておらず、
それをどうするかで、試されていたとか。
その問いは適当に聞いていたが、よく考えると面倒な話だ。
・誰よりも早起きしてゲットする。
・毎日順番に怒られるやつを変える。
・掃除道具なくてもできる作業で勘弁してもらう。
どちらにしてもひどいアイデアだ。
僕らの時代にも、そのアイデアは引き継がれていたのだが・・・」
どう思う?
一昔前、戸塚ヨットスクールというフリースクールが有名になった。
そのやり方がひどかったのだという。
正直、こぐにはどこがひどいのか分からなかった。
その遺族には心から申し訳ないが、
海にいる限り、一つ間違えば命を失う。
ぶん殴ってでも、即応させなければならない事態は起こりえる。
そこに入った子が、向いてなかったということは、なかったのだろうか?
それこそが、悲劇だったのではないだろうか?
商船学校では、入学してから卒業するまで、同じクラスとなる。
1クラスの定員は40名で、こぐもその中の一人だった。
但し、留年してきた学生が2名いたが。
さて、卒業する時、そのクラスは19名だった。
残り21名はどこへ行ったのか?
留年したのは1名だった。
残りは、すべて、退学したのだ。
成績が悪くて退学したのは7~8名だったと思う。
残りは、自浄作用、ひらたくいえば、いじめ、だろうか。
但し、辞めさせられるのは、いじめたほうだ。
母校では、同級生間の喧嘩は、いかなる理由であれ両成敗と決まっていた。
しかし、上級生は、通ってきた道なので実態を知っている。
あ、裁くのは教授たちではなく、同じ学生というのも、旧制高校などと似てるかな。
そこにいじめがあれば、即座にいじめた方を徹底的に追究し、
二度と人をいじめたくなくなる思いをさせていた。
母校の制裁は、全寮制男子校ってこともあって、ひどいものがあったと思う。
こぐも鼓膜を破かれたことが3度ほどある。
鼓膜ってのは治るんだね。≧∇≦ブハハハハハ
この人たち、脳味噌を違うことに使えばいいのにな?って思ったことも相当ある。
(なにしろ賢い人の集まりなのだよ、自慢になるけど、正直な話)
でも、その中で生き抜いた(まさに生き抜いた)おかげで、
今日の自分というものがあるのは事実だ。
一方、商船士官たるもの、常に紳士であれ、といわれ続けたのも事実だ。
そうしてなんとか卒業した子供の、さらに何人かが、
今日の日本商船隊を率いている。
最初の問いに戻ろう。
こぐの返コメントはこうだ。
「掃除道具が足りないんですけど?って尋ねるという、
一般人の選択肢がないところが、いかにもわが母校ですね?」
それに対して彼は、
「おお!思いもよらないアイデア!
そういえば、その時聞いた話では、誰かを怪我させるっていう選択肢があったなぁ」
ですと・・・。≧∇≦ブハハハハハ
生きててよかった・・・。確かにあの学校では、毎年死者も出ていたからなぁ…。