1週間ほど耳を塞ぎ目を閉じていましたが、殻を破ることにしました。
さて、なんと書き始めたらいいのでしょうか。
特別な何かが起きたわけでもないのに、虚無を感じて投げ出してしまいました。
家族にも、皆さんにもだいぶご心配をおかけしたようです。
申し訳ない、とは思うものの、己のことながら如何ともし難く、
独り混沌とした世界に籠もっておりました。
廻りのものが白々しく、
とはいえ日常の世界を投げ出すわけにもいかず、
消えてしまえという声までもが、空蝉のようでした。
おそらく軽度の欝になったのでしょう。
いや、そう思うことさえもが、自分勝手な逃避かもしれませんでした。
世俗的な、客観的な視点から見れば、
新しい部署に異動したとはいうものの、
前の部署の仕事も担当できる者がいないため継続せざるを得ず、
折からのコストや為替問題、即時決断を求められる状況に、
仕事量が変動しても家庭での対話(それも一方的であったかもしれない)にと、
プログラムされたかのような時間を過ごし、
休日は、計画された行動と、町内会やら同窓会やらの行事に、
いろいろ、考え、実行しながら、それが自分の度量だと自負もしていたのですが、
何もしない、できない人が、なんら自分と変わらない日常を送っていることに、
独断で動かないことも、はたまた報われないこともある反面、
翻ってみれば、自分も、何もできない一個人でしかないと気付き、
自分のこれまでの道程を、自分で否定せざるを得ないのかと愕然としました。
インターネットで調べても、癒し系と呼ばれる本を読んでも、音楽を聴いても、
事態の改善になるものは見出せませんでした。
でも、ともあれ自分を押し戻すことにしました。
もしかしたら時間が解決してくれるのかもしれない、
専門家であれば、調子を整えてからというかもしれない、
けれど、私がいるのは、言い訳をしていてやり過ごせる世界ではなく、
またそれを望み選んだのも私自身であり、
自嘲するしかないものの、慰められて癒されるというより、
喝を入れられて伸びる性分であることも、ある意味確かで、
このブログのタイトルにもなっていますが、
古より、故人の誰もが、各々悩みを抱え、それを払拭してきたように、
私も、また歩き始めることに、自分を育て続けることにしました。
反復になりますが、
皆さんには、励ましの言葉をいただき、本当にありがとうございました。
まだ、本調子には戻れないかもしれませんが、
また、よろしくお願いいたします。
そして家族にも、
ありがとう。
願わくば、梢に咲く花ではなく、大地に伸びる青草のように