
一般の人には、どうってことない日だと思うけど、こぐの仕事がらみの人だと、
「あ~、9月26日か~」って反応の人が多いかもしれない。
50年ほど前、っていうより戦後間もないっていう方があってるのかもしれないけれど、
長い戦後からの脱却を図るべく、日本中が何もかも釈迦力になっていた1954年の9月26日。
マリーっていう名前の台風が日本を駆け抜けた。
当時は米国寄りの習慣で、台風に女性名をつけていたんだね。
理由は、いうまでもないね。(((*≧艸≦)ププ
その日の朝、津軽海峡はとてもいい天気だった。
復興に沸く彼の地では、たくさんの貨物車を積載した青函連絡船が何隻も、対岸目指して出港したそうだ。
台風が来るだろうという情報は届いていたんだけど、
折から続いていた強い風雨が止んだこともあって、十分な経験を持つ船長たちは、
台風の目に入ったと思ったそうだよ。だから、今のうちに行こう、と。
でも、それは台風の目ではなく、台風が来る前の予兆、嵐の前の静けさだった。
空は一転、俄かにかき曇り、大波が船を襲った。乗組員は必死に船を風に向けようとしたけれど、
船の後部、貨車を積み込むハッチから大量の海水が流れ込み、5隻の船が次々沈んでいった。
幼い子供も乗組員も、実に1100人に及ぶ死者がでた。
タイタニック号にも次ぐ大惨事って報道されたらしい。
そして、これを機会に、青函トンネルが掘られることになった。
こぐの出た学校の、遠い上級生達が、この遭難した乗組員の中にいる。
毎年9月26日、こぐは、その人達のことを思わずにはいられない。
(興味ある人は、洞爺丸台風を調べてみてね)