以前からの持論を…
一般的に電車内等は公共の場とされる。
公共の場は多かれ少なかれ人が集まる所が多く、人々が共存する以上、お互いの気持ちを理解し合い尊重し合うべきものだと富蔵は考える。
今回のターゲットは私立小学校に通う優秀なはずの子供達!
①電車内で走り回る
②大きな声で喋る
③ガラガラの車内で通路の真ん中に居座る
いずれも車内での過ごし方として適切ではない行動。
「何も小学生にそんなに厳しく言わなくなっていいじゃない」と思うかもしれない。
しかし彼らは往々にして同年代の子供達より勉強する時間を多く割き、私立の学校を受験し合格し通学しているはずである。
長い文章を読んで散りばめられている作者の意見を要約し何を言わんとしているのかを答える事は得意でも何も無い所から答えを見い出す事は苦手だと思われる。
実際に周りにいる乗客達はあからさまに嫌な顔をしていた。
そういう場面に遭遇すると富蔵は小学生の頃からの変わらぬ考えを改めて思い出すのだ。
その考えとは何か?…小学生の家庭科の授業で「自分の子供をどう育てたいか?」という内容で書くテストの様なものがあった。富蔵は「勉強は出来なくても構わない。挨拶がきちんと出来る人に育てたい」と書いて花丸を貰った記憶がある。実際に富蔵は勉強出来ないけれど挨拶は人間として基本だと思うので積極的にするようにし
ている。
話は逸れてしまったが、つまるところ、勉強よりも大事な事がきちんと出来る人になってほしいと他人の子供ながらに思うのだ。未来を担う若者なのだから。
電車通学を認めた親達が電車内での過ごし方を教育していないのも要因の一つかもしれない。
誰でも分かるように携帯電話の絵が書いてあって切るように書かれていても平気な面してメールを打ってるサラリーマン。卑猥な写真や記事が掲載されている雑誌や新聞を平気で車内で読む男性。化粧という魔法で素顔から化け物に徹底的に変わっていく女性。
そういう大人はもうご馳走様です。お腹一杯です。
勉強したら立派な大人になれるのかどうかは疑問ですが人生の選択肢が増えるのも事実。
要するに空気を読む読空気力(富蔵オリジナル語)を養いましょう!という話です。学力と周りに不快感を与えない能力は必ずしも比例していないのが事実。
勉強より大事な事を忘れてはいませんか?