「エターナルズ」が描いたもの
「ノマド・ランド」撮影前、クロエ・ジャオ監督率いる〝チーム〟は、ディズニー社に対してMCUの新作「エターナルズ」(原題: Eternals)製作についてプレゼンを行なった。
ディズニー社は
(プレゼンを絶賛したのか快諾したのか冷静に受け止めたのか詳細不明だが、ともかく)
撮影を許可。
「エターナルズ」は2021年11月5日に劇場公開。
wikiによると
製作費2億ドルに対し、
興行収入は全世界4億ドル以上。
ここから本作について内容にふれながら、
映画ファンでMCU作品もおおよそ観ているわたしの感想、そして分析記事を書いていく。
未鑑賞でネタバレが嫌な人は読まなくていい。
「エターナルズ」は現在Disney+にて配信中。
Blu-rayは3月頭にリリース予定。
では
解説 クロエ・ジャオ監督
監督クロエ・ジャオは中国に生まれ、10代でイギリスに移住。
その後、映画を学ぶためアメリカに渡り、
実在する人物が実際に体験した出来事を再現する形で「ザ・ライダー」という作品を撮り、注目を浴びた。
次作「ノマド・ランド」は、オスカー作品賞受賞。実際にノマドだった監督自身の体験も交えて作ったこの一本で、名実ともに世界的名監督のひとりとなった。
前述2作は半ドキュメンタリー的な作品で、実際に起こったことや体験したことがベースになっているが、
MCU「エターナルズ」に関しては、アベンジャーズより前に原作がある完全なるフィクション(しかもコミック)であり、
「ノマド・ランド」を観たわたしにも彼女が撮るスーパーヒーロー映画というのがどういうものか、まったく予想がつかなかった。
逆説的MCU作品
「エターナルズ」はスターウォーズと同じように、テロップを使ってさいしょに観客にその世界観を示してくる。
MCUではあるが、そもそも普通の人間がスーパーヒーローになる話ではなく、これは神話である、といきなり掲示するのだ。
主人公たちエターナルズは人間ではない。
セレスティアルズ(創造神)は、多様である人類と同じようなエターナルズを創り、
不明な理由で生まれたいわばバグのような捕食者であるディヴィアンツから人類を守るため、地球に派遣された。
不老のスーパーヒーローであることが前提で、セレスティアルズからの帰還命令を待ちながら人間とともに7000年ものあいだ地球で過ごしていた……
エターナルズのリーダーであるエイジャックは、
最初から自分たちの使命を知っており、グループ内でも戦闘能力の高いイカリスにそれを打ち明けている。
地球はいわば新しいセレスティアルズ(セレスティアル・ティアマット)の卵で、
孵化するには人類のような知的生命体の生命エネルギーが大量に必要だった。
人類が文明を築いて、安全かつ確実に人口を増やしていくために、エターナルズは数千年にわたり襲撃者であるディヴィアンツから人類を守り、人類の進化に手を貸してきた。
ディヴィアンツを全滅させたとき、エイジャックはエターナルズの解散を提案する。
どの道、地球はセレスティアル・ティアマット誕生とともに割れて消滅する。
自分たちは記憶を抹消され、新しい惑星に飛ばされるだけ。
だったら少し、それぞれ自分たちの人生を生きてもいいのではないか、というスーパーヒーローでも神でもないような、まるで人間かのような判断を下す。
「エターナルズ」というのは、
スーパーヒーローから人間になる
という、これまでのMCU作品のいわば逆説的な作品だったのだ。
ターニングポイント
わたしは広島で生まれ、広島で育った。
1945年8月6日、アメリカが日本に対してなにをしたか、子どものころから知っていた。
はじめて広島に原子爆弾が投下されたことを知ったのは、5歳ぐらいのときだ。
台所に立った母から、そのことを聞いた。
つぎの日、保育園の運動場に出たとき(よく晴れた、ありふれた日だった)、ぶおぉぉぉんというはるか上空を飛行するボーイングの飛行音を聞いた。
爆弾が落ちてくるかもしれない。
いきなり目の前が真っ暗になったような、井戸に落とされたような、
生まれてはじめて心底から恐れおののいた瞬間だった。
どこにも逃げられない、圧倒的な死への恐怖。
小学生にあがってから、友達が平和公園にある原爆資料館に行ったことをはなしてきた。
資料館に入ってすぐ、全身がやけただれ、ガラスの破片が顔中に突き刺さった女性と子どもの蝋人形があった、と言っていた。
ほどなくして社会見学で原爆資料館に行くことなったが、わたしは仮病を使って学校を休んだ。
夏になると毎年のように平和学習があったし、平和公園にも何度も行っているが、結局、広島の原爆資料館には一度も行っていない。
長崎の平和公園、また資料館には中学の修学旅行で行ったが……
いまでも行きたくない。
人はときに恐ろしいことをする。
地球上の生物で、加害側にしかわからないような理由である特定の人種/民族を浄化しようなどと考え、実行するのは人間だけだ。
自然界には競争があり、殺し合いがある。
ただそれは縄張り争いであったり子孫を残すためであったり科学的に説明がつく事実である。
人類を守り、進化に手を貸して
「よりよい世界になっている?」とグレイグ(バリー・コーガン)が仲間たちに問いかける。
必死に守ってきて、知恵を授けてきて、人類は正しい方向に向かっているのか。
1945年8月6日の出来事で、エターナルズのファストスは人類を見限る。
自分たちが科学の進歩を手助けしたために、広島のような悲劇が起きてしまった。
あれは人類の誤ちであった、
とクロエ・ジャオ監督はアメリカのMCUのような大ヒットを狙う商業映画のなかで描いた。
だったら被爆者を描けよ、とか被爆したほうを助けろよ、とか言いたくなるが、大切なのはまず
間違いだった、と認めることだ。
1945年8月6日、アメリカの官僚たちが何をしていたか知っている。
大戦に勝利したことを確信し、ホワイトハウスでパーティをしていた。
多数の死傷者を出したものの、大日本帝国は敗戦を宣言しなかったため、アメリカは3日後の8月9日に長崎にまた原爆を落とした。
悲劇だ。
キャプテン・アメリカやアイアン・マンのフィギュアを持っているいまのアメリカの子どもたちは、原子爆弾の存在すら知らないだろう。
アメリカの退役軍人などの保守派のなかには、原爆投下は間違いではなかった、といま聞いても言い切る人がいるはずだ。
世界大戦に勝てたし、天皇のために命を投げ出す、命知らずな人々を統治下に置くことができた。マッカーサーがやってきて、新しい憲法ができ、長いあいだかけて日本は戦争を起こそうという精神を消された。
いまの日本はとても平和だし、先進国だと言われている。
ただアメリカにずっとコントロールされてきた結果、若者たちが政治について関心をもたなくなってしまった。
広島/長崎への原爆投下は、日帝とアメリカどころか、人類の誤ちであったとわたしは思う。
商業映画のなかでこの出来事にふれたことを〝歴史的第一歩〟と感じてしまう悲劇。
ひとつも世界は良くなっていない。
もっと時間を割いて凄惨に描くこともできた。
広島だけでなく長崎を描いても良かったし、もっと言えばアウシュビッツを、アパルトヘイトを、ユーゴスラビアの紛争を描いても良かった。
ただ映画はフィクションである。
ありのままの現実を見せると、観客は引いてしまう。男性同士のキスシーンがあるから、上映禁止になる国(中東諸国)が存在する世界だ。
〝あの国はデタラメ〟と中国を批難したクロエ・ジャオ監督の「エターナルズ」は、世界でいちばんの人口がいる彼女の祖国で上映されていない。
ひとつも良くなっていない。
「エターナルズ」が描いたもの
人類を客観的にみると、色々な大義のもとずっと争いを繰り返しているとわかる。
戦争がない国でも暴動があったり、なにかしら対立があり、その構造というものが変わらない。
「欠点がなくなったら、人間ではない」
リーダーであるエイジャックの台詞。
お互いの違いをまずは認めて対立姿勢を解かないと、話し合いは平行線を保ったまま、緊迫感はやがて爆発し、最後は殺し合いになってしまう。
聴覚障害者や同性愛者がヒーローとして描かれる「エターナルズ」に対しては、公開前から多くの非難の声が上がっていた。
人気の高さがわかる現象ではあるが、そういう人たちは、自分たちが愛をもっていることを忘れてしまっている。
人は選択することができる。
有史以来、人は自然に逆らったり、自然を守ったりしながら進化を遂げてきた。
いつでもチョイスができた。
人類は捕食者の頂点にあり、何より自由だった。
生まれもったものや、経験によって出来上がった精神を否定する権利は、なんぴともない。
SNSで議論している人々はいい加減、それが時間の無駄であることに気づくべきだ。
インターネットが普及して何年になる?
何年、同じような諍いを繰り返しているんだろう。
10代でイギリスに渡り、アメリカに移り住んだクロエ・ジャオだからこそ描けた〝人類を客観的にみるヒーロー映画〟。
エイジャックはノマドのように世界を旅して、さまざまな人類の側面を見る。
そして、この星には何かがあると感じる。
人々のなかには愛があるし、お互いを大切に思う心がある。セレスティアル・ティアマット誕生と引き換えにその自由を奪うのはおかしい、とエイジャックは感じた。
スーパーヒーロー映画はこうあるべきだ、と思っている人たちは、その気持ちを大切にすればいいし、それを声に出して言うことは自由である。
ただスーパーヒーロー映画は絶対こうあるべきで、「エターナルズ」はこうすべきだったと物語の精神性を否定する権利はない。
なんと言ってもウォルト・ディズニー社はクロエ・ジャオ監督のプレゼンに対してGOサインを出し、作品はすでに存在している。
一度もIMAXカメラを使ったことがなかった監督も、悩みながら作ったろう。
「エターナルズ」は自然光メインで使われる、まったく見たことがないスーパーヒーロー映画になった。
最後に
何よりもまず精神性に心動かされた。
エンド・クレジットで、古今東西、さまざまな文明の遺物、神を模した像、壁画、曼荼羅や巻き物といったものに、エターナルズの痕跡(紋様、円弧)が浮かび上がる映像が使われている。
この物語には、ギリシャ神話やアーサー王と円卓の騎士の聖杯伝説、聖書の物語と同じように、人から人へと語り継がれるべき何かがある。
(これらはスプライトがおとぎ話を得意とすることとリンクしている)
人類が多様であることはもうすでにわかっている。じゅうぶん描かれてきた。ここからさらに前に進まなくてはならない。
リチャード・マッデン演じるイカリスの葛藤こそ、この映画の出した解答。人は間違った判断を下すこともある。人はつねに選択できる。それにはまず、他者を認めることが大切だ。
愛をもてば、言葉はいらない。
突き詰めていくとジョン・レノンの「イマジン」のように、国境のない世界、宗教のない世界になってしまうかもしれない。それはくだらない夢想かもしれない。
だが、セナ(アンジェリーナ・ジョリー)が、ギルガメッシュ(マ・ドンソク)に、ありがとうと言うシーンがある。
何が? とギルガメッシュは言うだけで、多くを語らない。
何があろうとそばにいる。
言葉はべつにいらない。
自分がどう感じているか、わかるだろう、と。
ああいう関係をみんな目指しているんじゃないだろうか。愛している人のそばにいたい。そこに理由はない。
クライマックス、イカリスはセシル(ジェンマ・チャン)を止めようとしたが、そこで自分の気持ちに気がついた。
間違えてしまったかもしれない。
でもまたべつの選択ができるのが人類である。
「エターナルズ」はまさにそれを描いたのだ。
最後に、
作品として形にしてくれたクロエ・ジャオ監督に感謝を。また次作も劇場で観ることをここに誓います。

