
『マクベス』(The Tragedy of Macbeth)は2021年のアメリカ合衆国のドラマ映画。監督はジョエル・コーエン、出演はデンゼル・ワシントンとフランシス・マクドーマンドなど。本作はウィリアム・シェイクスピアの戯曲『マクベス』を原作としており、全編白黒で撮影されている。
本作がジョエル単独作になったことに関して、バーウェルは「イーサンはこれまでの成果に十分満足しており、もう新しく映画を撮るつもりはないようだ」という趣旨のことを述べている。(wikiより転載)
鑑賞後まず浮かんだのは〝大したタマだな〟の一語。
言葉は悪いが、ジョエル・コーエン監督はクソ度胸がある。
なんと言っても原作はかのウィリアム・シェイクスピア「マクベス」である。
1606年に実在したマクベス王をモデルに執筆され、いまなお語り継がれる歴史的名戯曲である。
物語というものは、だいたい時代や語り手によってアレンジが加わるものだ。
スティーヴン・スピルバーグの新作は「ロミオとジュリエット」を元にした「ウェストサイドストーリー」で、もはや2度3度とアレンジが加わったものをさらにリメイクする形になっている。
普通はそうするのだ。
(黒澤明監督も「マクベス」をやったときは日本を舞台に設定を練り直し「蜘蛛巣城」にした。)
原作をそのまんま現在に再現するには、一部の隙もなく完璧にやる必要がある。
少しでも間違えば批評家から酷評され、出演した俳優もろともキャリアに泥を塗ることになる。
1600年代、いまより遥かにものや芸術が少なかった時代。
現在の基準でもシェイクスピアの書いた台詞はわかりやすく、人の罪を炙り出す本作のストーリーの強度は凄まじいものがある。
「マクベス」は、人の罪に関する話だ。
イーサン・コーエンとジョエル・コーエン監督は、人間の犯す罪について繰り返し描いている。
「ファーゴ」と「マクベス」のテーマはまるで同じだと感じたし、「ノーカントリー」とも強烈に共鳴性を感じる。
誘惑にかられ、だれかが罪を犯す。
だれかはたいてい〝悪事の新米〟で、罪の意識にさいなまれ、疑心暗鬼になり、やがて破滅へと向かっていく。
初監督作「ビッグ・リボウスキ」のときから、変わっていない。
描かれるのはいつも犯罪に縁のない人々が犯す犯罪と、その前後の悲劇だった。
人は失ったものを取り戻すため、より多くを失う。「ノーカントリー」
これまでコーエン兄弟の描いてきたものが今回の「マクベス」にはわかりやすく、もろに出ている。
むしろ今までの作品が、ずっと「マクベス」の影を追っているような作品ばかりに思えてしまうほどだ。
いまこれをやるなら、なるべく情報を削ぎ落として台詞と演技のみで見せ、原作のテーマだけを突きつけるのが良い、と考えただろう。
画角を狭めてモノクロにする。色彩すら無駄な情報と言わんばかり。
時代性の再現は衣装と小道具だけに止め、セットも無駄な装飾をはぶいて簡素なものする。
矩形の穴でしかない窓、手摺のない階段。
できあがったのは光と影、台詞と演技だけの本作である。
原作のテーマだけを抽出し、研ぎ澄まされた役者たちの演技だけで見せる、ウィリアム・シェイクスピアの凄さがあらためてわかる作品になっている。
最近、色々な映画やドラマを観て思うのは、人間の内面というのは多面体(もしくは球体)に近く、そこには表も裏もない、ということ。
人間とは絶えず空を舞う木の葉のように、表も裏もなく揺れ動いている、その状態こそが生きた人間じゃないか、と。
善人、悪人、正義、悪、そんなものは単なるワードでしかない。
人はときに〝あるものをないと言い、ないものをある〟と言う。この〝揺らぎ〟こそが生きている証であり、人間の証明になっている。
綺麗はきたない、きたないは綺麗。「マクベス」
そのどちらでもないのが正解ではなかろうか。
第一幕の3人の魔女の場面は、だれにでもわかりやすい。驚くほどにわかりやすい〝例え話〟だ。
この剥き出しの〝人間とは何か〟というテーマを扱った作品と、
濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」のような新しい、私的で前衛的な演劇映画が同じような賞レースで競わされる世界線。
村上春樹とシェイクスピアでは比較のしようがない。
どれも優れているし、劣っている。
ロッテントマトの批評家はこれに優劣をつけただろうし、アカデミー会員たちは票をどちらかに入れるかも知れない。
贅沢な悩みと言えばそうだが、「マクベス」のような物語は、失われた文明人の意識の名残のようなもので、目には見えないが、ありとあらゆるものに影響を及ぼしているのではないか。
数百年過ぎて、いまなお語り継がれる作品というのは、やはり何か意味がある。
名優デンゼル・ワシントン、フランシス・マクドーマンドはもちろん、魔女と老人を演じたキャサリン・ハンターの演技は特に凄い。
あの演技、台詞、そしてジョエル・コーエン監督の選択した演出に引き込まれない人はいないはずだ。



