【書評】同志少女よ敵を撃て 英雄と呼ばれる人の「もうやだ」感 | 模型づくりとか趣味の日々リターンズ

【書評】同志少女よ敵を撃て 英雄と呼ばれる人の「もうやだ」感

 

今年は個人的に本の当たり年で、三体Ⅲが来て、テスカポリトカが来て、そんで本作です。幸せだ…


祝、直木賞候補!逢坂冬馬氏はこれがデビュー作だってんだから、才能のある人はいるもんです。

 

平和な農村で猟師の母親に育てられた少女セラフィマは村を襲ったドイツ兵に母も村人も殺され、その後に来たソ連兵には村を焼かれ、女性兵士イリーナに「闘うか死ぬかを選べ」と冷たく突き放される。セラフィマはドイツ兵を殺したあとこのイリーナも殺すと心に誓い、イリーナが教官を務める狙撃兵訓練学校の一員となる。学校には自分と似た境遇の女性ばかりが集められ、訓練の末残った数少ない女性狙撃兵たちは独立部隊として各地の戦場を転戦することとなる。狙撃兵として成長してく中で、戦場で行われるおぞましい行為や、英雄と呼ばれる狙撃兵の行く末を彼女は目の当たりにすることとなる。

 

戦場のリアルなんて言葉は使い古されてますが、それでも、容赦の無い展開や狙撃時の緊張感など描写など秀逸でグイグイと引き込まれていきます。そして本作のテーマは、大義名分の元で行われる戦争も現場の実態や個々の兵士の行動なんてこんなものだし、英雄と呼ばれる人も本人からしたら、だからなんなんだ…といったもんだという、戦争全体に対する不快とか不信といった感覚ですね。戦場の只中にあり死地をかいくぐりながら、戦争は国は自分らに何も報いてくれないんだ…といった諦念を感じ、またそれを埋め合わせるための一般兵士の連帯とそれを互いに確認するための行動がアレだということにゲンナリとさせられます。

 

セラフィマはクライマックスで、信念に従いある行動を取るわけですが、その行動の事の重大さと、行動の結果の小ささ(目の前のことを止めるのに精一杯なわけで)に愕然としてしまいます。

 

その他、あまり語られない”狙撃兵”という人の人となりについてとか、情報量も多く読み応えのある一冊です。