軌道っこオモシロ話(仙台軌道その5) | 宮城県富谷町の TOMIYAあったか探検隊

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こんにちは~! サル    ー です



仙台軌道には楽しい思い出話がたくさん。


昔から富谷に住むおじいちゃんおばあちゃんにお話を聞いたり、
本などで当時の様子を調べてみました。



仙台軌道は愛称「軌道っこ」。
当時の国鉄と区別して呼んでいた節もあったそうです。


夜中の線路を利用し、盲腸を患った急病人を台車に乗せて
仙台町中の病院まで連れていったツワモノが。
もちろん機関車は無いので、急斜面(とくに台原あたり)ではまるで
ジェットコースターのよう!
無事に手術をし、回復されたそうで。


大雨の日、(吉田川にかかる)軽便鉄道の陸橋から水かさの増した
吉田川へジャンプ!
しばらく下流まで流されるという遊びをよくされた人も。
よくぞご無事で! 
もちろん、帰りは川べりを歩くことになります。


小型の蒸気機関車なので、急坂を登りきれず停車。
そんなときは乗客みんなで押しました。
みんな文句を言うこともなく押してくれたそうです。
客車を残して機関車だけが行ってしまうことも度々。


軌道っこの座席は狭くて、向かい合わせると膝を
付き合わせるほど。おかげでお見合い列車なんて愛称が。
仙台軌道がご縁のカップルがいたりして。


市民の買出し列車として親しまれましたが、
列車にはヤミの物資を取り締まる警察官が張り込んで見張っていたそう。
旭ヶ丘あたりの急勾配は速度を落としてゆっくり運行するので、
ここで飛び降りる乗客もあったとか。
また荷物だけ窓から外へ投げ出し、あとからそれを取りにいったりも。
危険が無い限り、乗務員も大目に見ていたとか。


さらに、ヤミ米運びを商売にしていた人が当時たくさんいて、
この人たちと軽便鉄道の係の人との間で、
月に1回会合を開き、お互い生きていくための方法を探っていた
なんてことも。



おしまい。


参考図書:
 富谷今昔夜話(下) 山田二男著
 街道探訪誌 埋もれ火 街道探訪会著



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