朝からしんまちの冨谷宿で打ち合わせでぃす。
10/13の十三夜まつりでは、リニューアルされた観光用ガイド看板が3ケ所設置されますヨ。
Yショップさとうやさんの向かいの菅野邸のとなりに、町中町内会館が急ピッチで建設中。
公衆トイレも出来るそうです
さて、しんまちを出て大和町の鶴巣城跡へ行ってみました。
ひと山全体が城跡なので、入り込むことはできません。
このあたりは、黄金に輝く広大な田園地帯・・・うっとりんこ
ふと視線をずらすと、、、ムム・・・あれはナンだべ?
城か?
そういえば、富谷町の下水も大和町でやってると聞いたことがあるっぴよ。
「見学したいんでつがぁ・・・予約しないとダメつか?」
「今から案内してあげるよ」
きゃー
突然の訪問にもかかわらず、所長さんがとっても親切にニコニコと応対してくださいましたっぴ。
ここの施設では、黒川郡3町1村(大和町、富谷町、大郷町、大衡村)を対象とした下水処理を行っています。
平成4年から供用開始し、今年で20年!
常駐している職員の方は30名ほど。
施設はいくつかの機能に分かれていますが、誰もがどの機能も管理できるよう、
日ごろから訓練されているそうです。
私達の日常生活に欠くことのできない施設を、職員の佐藤さんが水の流れに沿って案内してくれました~。
各所から地下の下水管を流れてきた汚水は、まずこの第一関門を通過します。
このとき、浄化センターの処理能力を超える大量の下水が流入してきた際に流入量をコントロールしたり、機械の故障が発生したときにゲートバルブを操作することがあるそうです。
門を通過した汚水は地下深くにあるため、この『沈砂池ポンプ棟』でくみ上げられます。
そこで砂や大きなゴミをとって
次に『最初沈澱池』に送られ、小さなゴミやドロを沈めます。
このコンクリの下が『最初沈澱池』。
沈んだドロや活性汚泥は、お隣にある汚泥処理棟に送られます。
汚泥は固められて濃くされ、水分をしぼりだして焼却。
灰にして減量化され最終処分地で埋め立て、また将来的には
レンガ製造センターのプレス機で圧縮して製品化され、歩道や散策路
に敷かれるようになります。
以前は、焼却処理は宮城県多賀城市の施設で行われていましたが、
東日本大震災で施設が被災したため、
現在は岩手県で処理されているそうです。
また、一部はコンポスト処理され、肥料として再生されるそうですヨ。
ここは汚水を微生物に反応させるためのプール。
窓から、下の様子が伺えます。
1リットルの下水におよそ2億個もの微生物がいて、水に溶け込んだ汚れを食べているのです。
微生物が死滅しないように、空気がじゃんじゃん送られています。
深さは7Mもあるんですって
この機械は、プールの水温とか微生物の様子とかを管理する装置です。
広いでしょー、この日30度を超す炎天下ですから、メマイだっぴよ
こちらは『最終沈澱池』です。
微生物が水の汚れをたくさん食べると重みで沈みやすくなり、
上のほうのきれいになった水は次の処理におくられます。
沈んだ微生物は反応プールに送り返され、また一生懸命働きます。
微生物、アンタはエライっ!
さて、はるかかなたに見えるのは、なんだろな。
佐藤さんの哀愁漂う背中についていくと、、、
汚れを除いた水を消毒するところ。
ここで水に空気を混ぜます。なぜならば、魚が生きていける水にするために。
この水を飲むことはできませんが、川にすむ生物に影響がなく、
自然にかえるのには充分きれいな水になっています。
そして吉田川へと旅立ちます。
24時間365日稼動し、毎日26,000トンの下水を受け入れ、
同じほどの量をこうして自然にかえしています。
下水道のしくみひとつにも、私達の快適な生活をささえる「微生物」
という存在が不可欠なんですね。
でも、下水施設があるからといって、なんでも流していいわけではありません。
・台所のゴミは流さない。(ディスポーザー×)
・アルコールやガソリンを流さない。
・水洗トイレには溶ける紙だけを。
・マンホールにゴミや土砂を捨てない。
・洗剤は、せっけん・無リン洗剤を。
・下水管の近くには植樹しない。
3.11の震災後は、海岸方面の下水処理場が被災したため、マンホールから汚水があふれ出し
「流すな」のお触れも出た地域がありましたよね。
ちなみに、ふぢこんちでも、水道はすぐに復旧したものの、しばらくは下水に流すの極力控えましたもん。
本当にあの頃は、・・・・いったいどうなってしまうんだろう・・・・と、不安な毎日を過ごしました。
あの経験を忘れることなく後世に伝え、
ひとりひとりがルールを守ることで、豊かな自然と安心な暮らしが続きますように。
ヘルメットをかぶらないと入れない棟もあったのですが、今回は野外中心に見せていただきました。
最後に佐藤さんに質問してみました。
「どうしてお城みたいなんでつか?」
「下水という(悪い)イメージを払拭するために」
な~る
それからもうひとつ、ここの西側に政宗公の三男の宗清さんの居城「下草城」があったそうです。
七ツ森を臨むこのすばらしい環境には、江戸時代からこのような建物がしっくりと溶け込むわけですな。
ここに住みたい (働き者の微生物を見習いなさい)