手話を学ぶと言うこと | 嵐の前のウキウキさ ~前向きに生きるコツ ~

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いつもポジティブシンキングな丸の内(大手町)ワーカー。
オイラのトコトン前を向いて歩いていく生き様を公に曝す!(笑)

mixiというサイトで、手話を学んでいる人たちと交流をするコミュニティに登録をしている。今回、メンバーとオフ会をした。

他地域の方々との交流はとても楽しく、また初心にかえることができた。


自分が手話を学ぶきっかけは、以前にもこのブログで書いたが、現在も今尚、手話を学び続けるのは何故か?ということを今回は考えさせられた。

理由は、知り合いが聴覚障害者ということ。いつとは言えないが、職場や自分が通う教会へ聴覚障害者が尋ねてきたら・・・?そしてその時、彼らと話をするには筆談と口話だけでは不十分。指文字だけでも不十分。だからだ。


手話の学習には終点がない。新しい日本語ができる度に手話も新しくなる。彼らと交流する度に新しい発見がある。

最初のきっかけは、些細なことでかまわないと思う。

ただ、目標を持たずに手話サークルに通い続けたり、講習会を受講るするだけではやがて壁にぶち当たり、手話がつまらなくなり、学習が苦痛になってくることだろう。

そして、本だけTVだけの学習には限界があると言うことを知ってもらいたい。

自分も小学生のころから10年以上独学でやってきた期間と、サークルに入り彼らとの交流が始まった時から現在までの期間ではこちらの方が何倍も手話力が上がったと実感をしている。

別に、手話通訳を目指せ!ということではない。

聴覚障害者と交流をしたい手助けをしたい。その気持ちの有無が重要なのだ。

習い始めは、物珍しさも手伝って、結構楽しいものだ。ところが、やがて、こう考えるようになる。何のために手話をやっているのか?手話を使う環境ではない・・・。差し迫って手話を使う必要性が無い・・・。こう考えている人たちは、やはり手話力は伸びず、やがて手話を辞めていった。


そしてもう一つ。聴覚障害者についても理解を深めなくては信の交流は出来ないと思う。


相互理解。これが重要なのだ。