土地の境界を示す目印が、よく見かけます。私の自宅にも会社にも、ちゃんとあります。

 

 たまに測量士の人が、望遠鏡みたいのをのぞいている人と、物干し竿みたいの持った人2人1組で測っているのを見ます。これがいい加減ですと、土地売買の時なんかにもめたりしてしまいます。大事な仕事です。

 

 目印はコンクリート製の杭や金属製のプレートに、赤い矢印やバッテンマークで表示されています。

 

 杭は地面に打ち込まれているので、動かないと思います。ですが、金属プレートの方は、ブロック塀なんかに接着剤で貼られているケースが多いようです。

 

 会社にある表示プレートは、道路から敷地への入り口に社員が設置した、30cm位の高さの鉄製の踏み台の様な物に、貼られています。鉄ですから、重たいといえば重たいのですが、まるっきり動かないという程でもありません。

 

 どんなに正確に測量しても、基準自体が動いてしまったら元も子もないと思うのですが。街を歩いていると、そんな感じの表示板は、意外と多い様に感じます。

 

 “あれでいいのかな”と、黒い鉄の踏み台に貼られている赤い矢印を見る度に、思うのです。

 

 イランへの攻撃が、アメリカとイスラエルによって突然始まりました。ミサイルやドローンや戦闘機による空爆が、しきりに行われています。

 

 イランも反撃に出て、ミサイルやドローンを周辺国へ飛ばしているようです。出口の見えない、果ての無い戦いへと突入してしまうのでしょうか。トランプ大統領次第なのですかね。

 

 今、SNSでは、多くの現地の動画がアップされています。しかし、注意しなくてはならないのは、現代はAIで簡単にリアルな動画が作れてしまうという事です。今回のイラン爆撃でも、SNS上では本物そっくりのフェイク動画が、かなりの割合で投稿されているみたいです。一見、フェイク動画なのかリアルな物なのか、判断できません。

 

 実際の戦争では、何百人もの人たちが空爆で亡くなっているのです。そんな悲惨な戦争状況の中、戦地のフェイク動画をAIで作って投稿する輩どもは、許せません。言語道断です。

 

 いたずらに恐怖を煽る行為である事は勿論、戦争を茶化しています。人命を軽んじています。

 

 私たちは戦争に反対すると共に、何が現実なのかを確りと見極める事が重要です。SNSリテラシーを鍛えなくてはいけません。

 

 そうしないと、間違った方向へと、扇動者にとって都合の良い方向へと、皆が導かれてしまいます。

 

 塗料関係の会議が年数回名古屋や神戸であり、その際は新幹線にて出張します。指定席は、行きは進行方向右窓側、帰りは反対の左窓側を予約します。

 

 それは、富士山が見たいからです。ネットで席の予約状況を見ると、富士山側から埋まっていきます。私の様な乗客が、多いからなのでしょう。

 

 小田原を過ぎた辺りから、富士山がでっかくなってきます。富士山の裾野が雄大に広がっている様を車窓から眺める時、日本人に生まれて良かったなぁ~としみじみ感じます。

 

 新幹線の車窓から流れる景色を見ていると、富士山の直ぐそばに住んでいるにも拘わらず、土地の勾配や建築物等の立地によって、“このお家からは、富士山は見えないのだろうな”と思われる家があります。富士山フリークの私からすると、なんてご不幸なお住まいなのだろうと思ってしまうのです。

 

 川口市にある私の家からは、もちろん富士山を眺める事はできません。それは諦めというか、見えなくて当たり前だと思っているからです。

 

 しかしながら、静岡や山梨の富士山麓ともいえるような土地に住んでいながら、富士山が見えないという事程、悲しい事はないと思うのです。

 

 新幹線のシートに身を沈めながらぼんやりと富士山を見ていると、そんな大きなお世話な事も心に浮かんできたりするのです。

 

 先日、JRの満員電車の吊革に揺られながら、どこか席空かないかなとジリジリしながら目的に向かっていました。

 

 乗換駅でドッドッと乗客が降りて、これでやっと座れるかとちょっと安堵しながら車内を見回します。“オッ、あそこが空いたぞと”と、空いた席に向かいました。

 

 もうお尻をシートに向けて座ろうとしたその瞬間、脇からサッと若者が割り込んできてそのシートに座ってしまいました。見ると、青年というよりは少年と言った方が適切な年齢の若者です。

 

 こっちは齢61歳です。まだ、優先席には座りませんが、それでも、60歳を過ぎてからは、普通に席に座れる権利は発生しているだろうという認識は高まっています。半老人です。

 

 こういう時は人生の先輩に席は譲るものだと、大人げなくも、その若造を睨み付けてやりました。まあ、睨み付けただけですが。その若者は臆することも無く、スマホのゲームに没頭しておりました。

 

 普段は、“まだまだ若い、今どきの若造には負けないよ”なんて心持なのに、こんな時だけご老体になってしまいます。都合の良い老人化です。

 

 ホント、大人げないのですが、何だかむしゃくしゃしながら電車を降りました。

 

 私は、お体の不自由な方や妊婦さん、或いは私よりかなりご年配に見える方に席を譲るのは継続します。その方が、精神衛生的に良いですからね。

 

 本日、会社の健康診断がありました。身長・体重・視力・聴力・血液検査・心電図・問診・レントゲン・バリウム検査と、一通りの検査をしました。プラスインフルエンザの予防接種も、社員全員が受けました。

 

 私は注射が苦手なので、血液採取の時は窓の外を見ていました。注射針を刺すのは、看護師さんによって上手い下手がかなりあります。今日の看護師さんはとても上手な方でしたので、ラッキーでした。

 

 さて、本日健康診断を受け、とてもショックな事がありました。診断結果は、1か月くらいしてからですので、癌が見つかったとか、心臓に異常が認められたとか、そういう類いの事ではありません。

 

 だったら何、それは驚くなかれ、身長が縮んでいたのです。今までは公称174.5cmとしておりましたし、自分でもその認識でした。私は、174.5cmの男だと自負していたのです。

 

 ところがなんと、本日看護師さんが記入用紙に書き込んだ身長は、173.8cmでした。驚天動地、0.7cmも縮んでいたのです。

 

 ショックです。「老いると身長は縮むよ」とはよく言われている事ですし、そんなものかと私も認識はしておりました。ですが、私にはまだまだ先の話しだと思っていたのです。

 

 齢61歳、還暦を1年過ぎても、気持ちは若いつもりです。されど、体は着実に老化現象が進んでいます。老眼はかなり前から、入れ歯を入れたのも数年前、頻尿はこのところ酷さを増してきています。そしていよいよ、身長が縮み始めたのです。

 

 これはショック。174cm台と173cm台とでは、ゴルフで100を切るか切らないかくらいの、差があります。と、考えてしまうのです。傍から見れば、どうってことないのでしょうが。

 

 さて、どこまで縮んでいくのでしょう。170cm台で、死んでいきたい。