ちょっと打ち明けてみようと思う。
実はこの1ヶ月、
ずっと考えていることがある。
もしかするともっと前からぐるぐると。
自分が今後どう生きていきたいのか、
そのために今何から始めるべきか
何を見直すべきか
べきべきべきべき出てくる理由はただ一つ。
「2025年問題」←一般的な意味+天変地異で日本が半分なくなる説。
とはいえ、私にとって2025年問題は
ずっとリアルに身近に感じていることで、
中学生の時にふと
「あ、私は2025年までしか生きられないのか、てことは35歳か!じゃあそれまで全力で生きよう!」
とつい最近までものすごいスピードで
生き急いでいた。
そして、私には
生まれる前の記憶があったからか、
そのふっと湧いてきたイメージに
なんの疑問も持たず、
さらには人体実験体質で
こっちの極からあっちの極みたいな、
好きも嫌いも、幸せも不幸も、
どん底も希望もどっちもフルに
体感したいし経験したいがための
全力疾走😂笑笑
で、いよいよあと数ヶ月で2025年。
最近では私と同じように
体内記憶を持つ子どもたちが
2024年のいついつに大きな地震が…とか
2025年には〇〇が…とか
生まれる前に空のモニターで見てきたことを
ママたちに伝えているようで、
それはそれは驚いた。
中学生の時にふと感じたことを
私よりも進化して最近生まれた子たちが
同じように知っていることにも驚いたし、
それを言っている子どもたちが
チラチラいる程度ではないことにも驚いた。
↑これは絵本作家ののぶみさんのYouTubeをみて知った。
でね、私の行動原理の一つに
相手のため、身近な人のため、社会のため、
日本のため、地球のために
私のできることはなんだろう?
と考える癖があるのだけど、
この考え方は回り回って
全て自分のためでもあるということが前提にある。
※いくら相手のためとはいえ、その身を削り続けることは
最終的に相手のためにも自分のためにもならないからね。
となったときに、
あと1年足らずで私が死ぬとしたら
私に何ができるかな?が全然浮かばなくて。
いや、嘘。やりたいことはある。
だけど、この異常気象の中、
地球がSOS状態の中、
人間を救うことや社会を再構築することが
果たして地球のためになるのかなと
本気で考えてしまって動けなくなってた。
だって、この数十年で
こんなにも地球の気温が上昇したり、
生き物の生態系が大きく変わってしまったり、
ビックリするようなゲリラ豪雨の頻発は
私たち人間のせいであることは間違いないから。
地球が再生するには膨大な時間が必要だし、
そこに人間が存在するだけで地球にとっては
もはや負担でしかないのでは?
とも思ってしまう…
とはいえ、私たちは
この地球の資源を頂きながら
科学と共に文化を作り、
「よりよいくらし」を求めて歩んできたし、
私自身もその恩恵を大いに受けていることも
自覚している。
そして、その先人たちが
紡いでくれた文化も愛おしく思うし、
社会がよりよい方向に向かってほしいとも思う。
そこで現状に立ち返ると、
日本という国は今、圧倒的な少子高齢化社会。
人間社会の再構築には
子どもが増えることが
よりよい社会には絶対条件とも言える。
そこで、また葛藤。
地球のためには人間を増やすことは
マイナスでしかないのでは😢?
堂々巡りで身動きが取れなくなった。
その堂々巡りのなかで、
やっと自分に折り合いがついたというか
一つの着地点が見えたのが昨日😂笑笑
長かったー。
動きたいのに動けない。
やりたいのにやらない。
そのうち、私のしたいことってなんだっけ?
それ世の中に出す必要ある?
誰か必要とする人はいる?
そもそも私いる?
みたいな謎のネガティブ思考も発動したり

でね、一旦ココを着地にしよう!
と思えた着地点はというと
教育
教え、育むこと。
ぐるぐると迷走中、何度も何度も
私のやりたいこととして浮かんでくる
教え、育むこと。
教育というと
学校の先生などの教育者や
何かの専門家である人が
担うものという印象があるかもだけど
吉田松陰さんの名言
"教えるの語源は愛しむ"
と表現が私は好き💕
そもそも愛しているから、
愛おしいと感じる相手だからこそ
その愛おしむ相手に対して、
自分が大切にしていることを伝える。
これが教育の原点。
漢字の成り立ちで言ったら
確かに教えることには強制の意味も含まれる。
けど、強制したとて、そこから何かが
育まれることはない。
じゃあ「育む、はぐくむ」って?
語源は親鳥が羽でひなをつつむ姿が由来。
安心安全の体感だよね。
そして私が
「育てる、そだてる」じゃなくて
「育む、はぐくむ」をわざわざ使う理由は
そだてる=大人主体
はぐくむ=子ども主体
に感じるから。
2人の愛を育むとかで考えると
イメージしやすいかもだけど、この場合、
お互いにその関係性を大切に守り
2人でその関係性を発展させる
というニュアンスが強いよね。
子どもの場合だと
大人は子どもを大切に守り
子どもはスクスク発達していく。
そんなイメージ♡
同じ漢字なのに、音読みと訓読みで
こんなにもニュアンスが違う日本語って
やっぱり美しいね☺️💕
で、教育というものの捉え方を
「教えるの語源は愛しむ」という表現を
軸として"教育者"が誰かを想像すると
お母さん最強説
が容易に想像できると思うの。
※ここにお父さんを当てはめてももちろんOK!
だって、我が子愛おしいじゃん💗
どんな姿だって、どんな性格だって
どんな状態だって、何歳であろうと
我が子愛おしいじゃん💗
我が子を愛しむ気持ちは
無限に湧き出るよね💗
それが教育の原点。
家庭から始まる教育。
だから、親である自分が
愛おしい我が子に対して「教育」するとき
まず大前提で大切なことは
自分が大切にしていることが
"何か"ということ
ここが言語化できてないと
愛おしい相手に自分が大切に思っていることは
伝えられないよね
💔

「言語化苦手〜」という声が
たくさん聞こえてきそうだけど
安心してください!!!
子どもたちの育む力(発達する力)は
私たち大人が想像するより驚異的なパワー!!
たとえママが言語化が苦手だとしても
何を大切にしているかは全部
「からだ」に現れてるから😊
骨格にも、身体の使い方にも、
言葉の使い方にも、全部現れている。
その立ち居振る舞いを見て
子どもたちは自分を発達させている。
だから、子どもたちに
自分を大切にしてほしいと思うなら
ちゃんと自分で未来を選択してほしいと願うなら
いろんなことを経験し、体感して
豊かな人生を送ってほしいと願うなら
まず、あなたが
それを体現できているかな?
というのがとても重要だよ❤
私のやりたいこと。それは
教え、育むこと。
子どもたちに対してもだし
子どもたちのお手本であるママや
子どもたちを教え育む立場にある
教育者に対して、教え、育むこと。
もし、万が一のことがあっても
みんなが逞しく生きられるように💕
そして、愛しむ心の輪が広がり
社会や地球に対しても
愛しむことができますように💕
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます☺️❤
あなたにとって今日も
素晴らしい1日になりますように✨