正しいことを言っても、それが通らない
世の中は不条理。
力のないものは踏み潰される
現実は理不尽。
今回の件で、一番大きな傷は、『心』かもしれない。
人を救ってくれる場所と思っていた病院
尊い職業だと思っていた医師
市民のために働いている役所
今の私はそれらに対する嫌悪、憎悪ににも等しい
不信しかない。
これほど、誰かを、何かを、恨み、憎悪することが
自分にできるとは思っていなかった。
恨み、憎むことは、相手よりも自分自身にとって辛いこと。
その状態を続けるのは心身を激しく消耗すること。
どんなに辛く、怒りに満ちていても、
時が過ぎれば、疲れもし、荒立っていた心も
鎮まっていくもの。
それが、一年もの長きに渡り、
激しい憎悪を抱き続けなくてはならないとは
私自身にとって、最大の不幸かもしれない。
がん検診でミスによる医療事故・・・ただそれだけだったら、
今頃はもっと心が軽くいられたろう。
その後の病院の理不尽な対応。
責任があるはずのさいたま市、医師会の不誠実さ。
それらが、私の心を元には戻れないほどに大きく傷つけた。
実際、事故が起こった直後は、もっと心が軽かった。
体もすぐによくなるだろうと信じていたし、
さいたま市も真摯な対応をしてくれると信じていたからだ。
医療関係者の良心も、役所の人間の善意も
私は信じていた。
心をこめて話せば、心は通じるものと。
実際、
事故から2ヶ月も過ぎてからだが、
無視をし続けていた病院が
私が思いを込めて、書いたメッセージを読んで、
『謝罪』したいと自宅を訪れたその時には、
謝罪の気持ちが病院にあるのなら、
全てを水に流そうとしていたのだから。
事故後にかかってしまった高額な治療費も、
慰謝料も何も請求せず、
謝罪したいという「心」を重く受け止め、
それ以上、病院を責めることはすまいと・・。
憎んで余りある人たちのために、座布団やお茶の用意までして、
彼らを招き入れた。
そんな私の善意に付け込んで、
自宅に乗り込んできた彼らは、
謝罪どころか、
「全て正しいことを行った。
一つ一つ細かく精査したのだから、間違いない」
と、良心の呵責も何もない顔で、明らかな偽りを並べ立て、
私を嘘つきだと罵り、激しく人格を傷つけた。
争うつもりなどなく、
和解するつもりで手を差し伸べていたところ、
何の心の準備もしておらず、
ろくに反論もさせてもらえず、
病院、保健所、医師会の5人にたこ殴りのような状態だった。
「カルテにあるのだから、病院が正しい。お前が間違っていると」
痛い、苦しいというような自分の感覚まで、嘘を述べていると。
後に、カルテにより、私の方が正しかったと証明された時には、
私の主張が正しかったと、
保健所にも医師会にも分かってもらえると思った。
カルテに書かれていることまで、
故意に隠蔽するために、虚偽の報告をしていた病院の悪辣さを見れば、
カルテに書かれていないことで、主張が食い違っていることも、
病院が自分達を守るために、嘘をついていると、
私の主張は正しかったのだと信じてもらえると思った。
しかし、
そうはならなかった。
私は、保健所や医師会が、その病院の隠蔽工作を知らずに
「カルテは絶対だから、病院の言うことがただしい」と
判断していただけだと思っていたが・・・
そうではなかったらしい。
もしかしたら、初めからそれを知っていて、
その上で、この件をうやむやにしようとしていたのかもしれない。
実際、病院からの虚偽の報告書を受けて、
それが正しいものとして、対応を一度は終わらせたのだから。
しかし、それでは納得できないこちらが食い下がったので、
結局、病院の隠蔽工作が明るみに出たが・・・
「謝罪」と偽って、自宅に押しかけてきた彼らに、
もはや「赦す」などという気持ちは消えうせ、
裁判に訴えることも辞さないと怒りに燃える私に
保健所がきちんと対応すると言ってくれたので、
それを待ったが・・・
病院が 『カルテを見誤っていた』 と
私の主張が正しかったことを、保健所に対して認め、
自宅にまで押しかけて、
『カルテは絶対間違いない。お前が嘘つきだ』と
私を責め立てたことを謝罪したいと言っていると、
保健所は言った。
ただ、他の全ての調査もしている最中なので、
それが終わるまで待つように病院に言ったと。
それを信じて、
尽力してくれている保健所に感謝までして、
待っていたが、
待ちに待ったが・・・
・・・
待っていた報告はなく、
突然、終わりが告げられた。
年度が変わり、担当者も異動するから。
求めていた、病院の報告書ももらえず、
保健所の調査の結果も口頭ですら伝えてもらえず。
分かったのは、病院は
カルテにより発覚した偽り以外は
私の主張を全否定したらしい。
そして、それを保健所も医師会も認め、
次年度も検診を任せるに相応しい病院として指定したと。
保健所を信じて、
自分で裁判などの行動を起こすことなく、待ち・・・
病院が謝りたいと言っているとか、
詳しく調査している最中とか、
だらだらと2ヶ月以上も引き伸ばし、
すぐに行動を起こしていたら、
抑えられたかもしれないカルテも証拠も
全て消されてしまっただろう後になって・・
「もう全て済んだ。この件は終了と」
色々、調査してくれているはずだったが、
本当にしていたかは分からない。
病院の返答、調査結果などの報告を求めても
「そのつもりはない」と、ばっさり。
全ての調査が終わった後に
『再び謝罪』に訪れたいと言っていたはずの病院も
謝罪には来ない。
それも保健所の嘘だったのかもしれない。
『謝罪してくれるなら、全てを水に流す』という私の言葉を言質にとって、
謝罪に訪れたという体裁だけを繕ったので、
『病院は真摯に謝罪をし、丸く収まった』という形で収めたのだろう。
後のことは私の怒りを鎮めるために、
病院が反省しているようなことを言ってみたり、
詳しく調査しているようなふりをしていたのかもしれない。
「訴えるなら、病院ではなく、さいたま市を」と保健所は言った。
「さいたま市の検診」であったので
事故を起こした病院ではなく、さいたま市に責任があると。
逆に言えば、さいたま市に依頼された検診であるなら、
事故を起こしても、病院は何の責任も問われないと。
さいたま市が税金を投じて、依頼した検診なら、
全ての責任がさいたま市にあるというのなら、
さいたま市が病院に対して、何らかの行動を起こすべきと思うが、
直接、調査することもできなければ、
謝罪や補償を要求することもできない。
検診の指定病院から外すこともできない。
病院の選定は医師会に任せてあるので口出しできないと言う。
病院に責任はない、謝罪させることもできないというのなら、
代わりに、責任ある立場の医師会が謝罪に来るべきだと言ったが・・
保健所は「病院には謝罪を求めていることを伝える」と言ったのみ。
その後、誰も謝罪になど訪れない。
電話の一本もない。
保健所が言っていただけのことで、
本当に病院に伝えたのかも分からない。
というか、おそらく言っていないだろう。
そもそも、病院がカルテの内容を偽っていたことを認め、
謝罪したいと言っているというのも、
私を宥めるための、保健所の嘘かもしれない。
医師会ともに調査をしたようなこともいっていたが、
それも本当にしたかどうか分からない。
私の怒りを宥め、
裁判などの行動を起こさせないために、
言っただけのことかもしれない。
そう思うと、全てがしっくりくる。
今の私には、医療に対する激しい不信しかない。
人の善意を、良心を信じる心など消えうせた。
ただの検診で、健康だった体を傷つけられ、
救いを求めていった別の病院でも、事情を話すと
「医者に文句を言うな、厄介ごとに巻き込むな」と言わんばかりに冷遇された。
保健所も医師会も、虚偽の報告をし、隠蔽工作をした病院を野放し。
やはり、小市民には及びもつかない、金と権力の動きがあるのかな。
私は声を大にして言っていた。
健康増進のためと言いながら、
健康被害を出し、それを救おうともしないなら、
「一体誰のための、
何のための検診なのか」
何のために、
巨額の市民の血税を投入しているのか。
この問いかけに対して、保健所も医師会も何も答えなかった。
少なくとも、市民のための
健康のための検診ではないらしい。
このブログは、さいたま市の検診で起こった事故を通して、私が見聞きした事実、感じた怒り、苦しみ、推測などを書き綴るものです。
誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。
冨田病院