医療事故~さいたま市の胃がん検診で

医療事故~さいたま市の胃がん検診で

何重ものミスが重なる杜撰な検査により、良好だった心身を害され、後遺症に苦しむ日々。その治療も拒否し、隠蔽工作までして、被害者を罵倒する病院。『健康のための検診』と言いながら、被害者の健康回復のために、何のフォローもしない『検診』に対する不信など

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夢を見た。

一年以上も前の、あの悪夢の胃カメラ検査の夢。

 

心身に何の異常もなく、痛みなどあるはずもないただの検診だった。

 

麻酔さえろくにせず、激しい嘔吐感と胃の内部の激痛に苦しむ私を、

痛い、やめてくれと泣き叫ぶ私を

看護師達は押さえつけ、「黙れ、静かにしろ」と

続行する必要のない検査を続行した。

 

私は口から管を押し込まれたまま、為す術もなかったが、

夢の中では自分で管を引き抜いた。

 

自分の叫び声で目が覚め、

さらに、大きな心身の痛みに激しいうめき声を上げ、泣き叫んだ。

 

何故、一年以上も前の、ただの市の検診で、

こんなに苦しみ続けなければならないのか。

 

 

さいたま市の手順も、病院の手順も無視し、麻酔の指示をミスした医師。

そして、おしゃべりには夢中になるくせに、

医師からの指示すら、ろくに確認せず、

手間を惜しみ、麻酔の費用がいくらか知らないが、それも惜しみ、

麻酔の希望をしている受診者に「医師の指示」と嘘をつき、

麻酔をせずに、検査を開始した。

 

苦しみと、痛みに泣き叫ぶ受診者を2人がかりで押さえつけた。

検査の医師は大学病院から来てもらっているというが、

明らかに異常な様子の受診者を無視し、

検査を中断したり、やり直すのが面倒とばかりに

そのまま検査を続行。

終了後、受診者の様子を確認すらせずに、黙って立ち去った。

どこの大学の先生か知らないが、(すぐ近くの自治医大?)

随分お偉い先生だ。

 

看護師は、何の謝罪もせず、事後の対応をしようとはせず、

全てさいたま市のマニュアル通りだから、

さいたま市が悪いと言わんばかりに、

嘘を並べ立て、受診者を放置。

 

 

 

医師や看護師とは崇高なる職業と思っていた。

尊敬すべき聖職と思っていた。

 

人が苦しむ姿や、死を見慣れているせいか。

看護師にとって、人は、単なる商売道具でしかないのか。

 

患者を人としてではなく、道具として接しているうちに、

自分自身の人としての心を失ってしまうものか。

 

それとも、あの冨田病院の胃カメラ担当の医師、

看護師だけが特別なのか。

 

私は、鬼のような看護師の顔を一日たりとも忘れない。

 

毎日、痛みに苦しむたびに、あの鬼のような顔が嫌でも思い出される。

 

痛みに苦しむたびに、あの看護師に同じ苦しみを味わわせてやりたいと、

同じ場所を刃物で刺してやりたいとすら思う。

 

もちろん、現実にそんなことできるはずもないが、

それほどに深い恨みと憎しみを受けているのに、

彼女らは何も感じないのだろうか。

何も感じずに、今日も患者を単なる道具として取り扱っているのだろうか。

 

看護師という職業でなくとも、

普通の人の心のかけらでも持っていれば、

謝りにくるのは当然と思うが、

 

自分達は何一つ間違っていないと、

全てカルテを確認し、医師の指示通り(←大嘘)だと、

 

麻酔は効いていたし、痛みがあるはずもなく、

だから、押さえつけてもいない。

 

情緒不安定な人間が、ありもしない痛みに、

勝手に騒いでいただけだと。

 

偉そうな事務局長に言いに来させただけで、

何事もなかったように生きているのか。

 

私や私の家族が未だに、毎日苦しみ、

毎日、憎しみを募らせているというのに。


 

彼らは、自分や、自分の大切な家族が同じようなことをされても、

何とも思わないのだろうか。

 

 

たいした鈍感力だ。

さいたま市の検診で起こった事故。

 

病院は「さいたま市」の責任にし、

責任がある立場のさいたま市は、

医師会に全ての責任を転嫁させ、

医師会は無視。

 

 

「事故など起こらなかった。

被害者は医療事故と立証できないので、

病院にも、さいたま市にも、医師会にも

何の責任もない」

 

それで、済んだはずではないのか。

 

それだけならば、

私は非常に悔しい思いをしただろうが、

仕方がないと、自分の体の治癒のことだけを考え

前に進んでいけたはずだ。

心をずたずたに引き裂かれ、激しい人間不信と、

憎悪の感情にどっぷりとつかり込むことなどなかったはずだ。

 

 

何故、わざわざ、彼らは「謝罪」と嘘をついて、

被害者の家にまで乗り込んでこなければならなかったのか。

 

彼らがやってくるまでは、体の痛みはあれど、

心は普通でいられた。

 

彼らに謝罪してくれる心があるならば、

その心を重んじて、全てを水に流し、忘れると

寛容な気持ちで彼らを赦そうとしていた。

 

 

にもかかわらず、

 

彼ら(病院、医師会、保健所)は、5人もの大勢で、

「謝罪する」と私を騙し、自宅に乗り込んできて、

退去を促すのも無視し、

偽りのカルテの話など並べ立て、

「全てお前が悪い、嘘の申し立てをするな」と

高圧的な態度で踏みつけにした。

 

 

あの日から、

私の心は抜け出せない闇の中に落ち込んだ。

 

 

あの日のことがなければ、

私は、体の苦しみがあっても、

心穏やかな日々を過ごせただろう。

 

 

少ない人生、

泣いてすごしても、笑って過ごしても、同じなら、

笑って過ごしたい。

楽しいことを考えて、楽しいことをたくさんして、

過ごしたい。

 

あの悪夢の検診の日までは、そう考えて、過ごしていた。

 

その楽しい日々を、滅茶苦茶に変えたのは、あの検診。

 

そして、元通りに回復できないまでに、

叩きのめしたのは、偽りの『謝罪』訪問。

 

 

さいたま市としては、訴えられたくないという事情があり、

その可能性をつぶすために、

全て私が悪いのだと、カルテにも証拠があるから間違いないと、

カルテの偽装工作に加担してまで、

私に思い込ませ、裁判沙汰にするのを断念させようと考えたのだろうが・・

 

ただ、そのために、平気で人を騙し、

踏みつけにできる彼らが、私にはどんでもない化け物に見える。

 

彼らのしたことは、体ではなく、心を殺すも同然のことだった。

 

そこまでしなくても、私は赦すつもりでいたのに。

心をこれほどに痛めつけられるくらいなら、

一年以上、これほどに辛い日々を過ごさねばならないのなら、

本当に死んでいた方が楽だったろう。

 

 

事故が起こってしまったのは仕方がない。

大切なのはその後のどうフォローするかだと、

私は何度も強く言った。

だが、彼らは、

被害者の救済ではなく、逆に闇に葬り去ることに

力を注いだ。

 


そこまでして彼らが守りたかったのは、一体何なのか。

 

「さいたま市の検診」という看板か、

巨大な利権か・・・

 

 

そのために、ここまでする必要があったのか。

私には分からない。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログは、さいたま市の検診で起こった事故を通して、私が見聞きした事実、感じた怒り、苦しみ、推測などを書き綴るものです。
誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。

 

 

 

 

冨田病院

この一年、どれだけ苦しみ、涙を流したことか。

 

未だに癒えない体の痛みに、この先どれほど耐えなければならないのか。

 

実際に傷つけられた体よりも、もっと深く痛めつけられ、抉られ、

崩壊してしまった心の痛みを、苦しみを

一生背負わなくてはならないのか。

例え、体の痛みが癒えたとしても。

 

自分1人だけのことならば、それでも良い。

自分1人が痛みに耐えていれば、それで済むのならば。

 

だが、自分が苦しむのと同じに、家族も苦しむ。

家族も流さなくては良い涙を、この一年間にどれほど流したことだろう。

 

 

犯罪の加害者家族に罪はない

 

そう言って、加害者家族の人権の保護が声高に叫ばれるけれども。

 

加害者の家族には罪はなく、

法的、社会的責任を負うべきではないとしても、

苦しむべきである

 

 

少なくとも、何の落ち度も、責任もない、被害者の家族が

被害者と呼んでも良いくらいに、苦しめられている以上、

加害者の家族だって、苦しむことくらい当然である。

 

全くの無関係の人間が、加害者の家族を非難し、

嫌がらせをしたりすることは、もちろん、論外であるが、

 

苦しみ、涙している被害者の家族に憎悪の感情を向けられるくらいは

当然ではないだろうか。

 

被害者の苦しみの上に、高給と安楽な生活を得ているならば、

加害者の家族も、加害者同然だ。

その加害者家族を、法律では裁けない。

 

ならば、被害者が、加害者とその家族を恨み、憎むことも、

法律で裁くことなど出来ない。

 

加害者とその家族達に、正当な天罰が下り、

被害者とその家族達の苦しみの一端でも、味わわせたいと

願い、祈る心を、誰がとがめることが出来るだろうか。

 

家族が医師、病院の事務局長、医師会のお偉いさん、

役所の人間・・・

家族にとっては、高給取りで、裕福な生活を与えてくれる。

鼻高々だろう。

 

だが、その彼らが、どれだけの人を踏みつけにし、

人からどれだけ憎まれ、恨まれ、

それで得た金で、自分たちが安定した生活を送っているのだと、

少しでも思い知ればよいと思う。

思い知るべきだと思う。

 

 

人の不幸を望むほど、心が痛い人間ではなかったはずの自分が、

彼らによって、完全な人間不信に陥らされ、

今は、心より、彼らの不幸を願っている。

 

彼らのしたことを赦し、全てを水に流し、忘れると言っていた自分だが、

それを逆手に取り、人の心をずたずたに踏みにじった彼らを

生涯かけて憎み続ける。

 

 

来年こそは、彼らには相応の天罰が下るように。

 

自分たちが苦しんだ分の、ほんの一部でも良い、

彼らに苦しみが訪れるように。

 

私の家族が流したほんの涙の一部でも、

彼らが流すことがあるように。

 

そう、祈らずにはいられない。

 

 

 

 

 

ほとんどが

特に体調が悪いわけでもなく、

万が一の時のための「安心」のために受けるがん検診

 

そのため、高をくくって、さいたま市のマニュアル通りにも、

病院のマニュアル通りにもやらず、

医師も看護師もいい加減な態度で

カルテも確認せず、

受診者の訴えを無視し、

麻酔などの薬剤を使うだけ無駄だといわんばかりに、けちり、

事故を起こしても、

まともに対応しようとすらしない。

事前の同意書には、「全力で治療する」との文言があるにもかかわらず、

それを無視して。

 

そのような行動を許しているのは

さいたま市の保健所。

市民の税金を投じて、検診を病院に依頼する立場にもかかわらず、

病院に対して、直接何も言うことができないという。

治療や補償などの対応を求めることも、謝罪を求めることも、

できないという。

医師会を通じて、出してきた報告書の内容が虚偽のものだと

発覚してさえ、病院をとがめだてすることは出来ないと。

 

それは、全て、大宮医師会に任せてあるから、

全て医師会のせいであるかのように、

保健所は言う。

 

そんなばかなことがあるのか、と思うが、

真実は分からない。

 

ただ、医師会は、

「謝罪」と偽って、自宅にまで乗り込んできた病院と

保健所と共にやって来て、

高圧的に偽りの主張を並べて立て、

恫喝まがいに、被害を訴えようとする受診者の口を

ふさごうとした病院に加勢したことだけは間違いがない。

 

 

保健所は、自分達に責任のない事案では、

公平に調査し、対応するのだろう。

 

だが、今回はさいたま市の検診であり、

責任は自分達にかぶさってくる。

きちんと依頼どおりの仕事をせず、

事故を起こし、その対応を一切しようとしない依頼先を

依頼主として、本来は糾弾するべきだろうと思うが、

それは自分達の首を絞めることに他ならない。

 

だから、事故は起こらなかったことにしたい、

それが本音だったのだろう。

 

巨額の税金が投じられる検診事業。

病院も、医師会も、保健所も

それぞれの利を守るために、目的が一致したのだろう。

 

訴え出た被害者の口を封じるために、

訪問を断る被害者に対し、

「謝罪したいから」と偽って、自宅にまで

大挙して乗り込んできたのだろう。

そして、謝罪どころか、全て訴え出た本人が悪いのだと

偽りの内容を並べ立てて、頭ごなしに押さえつけた。

 

心から謝罪してくれるなら、全てを水に流すと、

和解の意思を示していた相手を、

彼らは騙まし討ちにし、

完膚なきまでに叩きのめしたのだ。

 

 

結局、保健所はその後、

病院には「謝罪に行くな」と命令し、

被害者には、「調査中」のふりをし、

のらりくらりと時間稼ぎをし、結局

全てをうやむやにした。

 

訴えに対する回答すらしないまま。

一切の情報を与えず、「確認する」と引き伸ばした挙句に、

「調査の結果を報告するつもりはない。年度が変わる。終了」と。

 

さいたま市の検診でなければ、

もう少し、きちんと調査され、その結果の回答が

被害者に伝えられるはずである。

 

加害者側となってしまったために、

不利な情報は一切、被害者には知らせまいと、

そういう態度になってしまうのか。

 

 

一体、検診は誰のために、何のために行われているのか。

医療産業にとって、大きな利を産む検診の前では、

一市民が死のうが生きようがどうでもよいということなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログは、さいたま市の検診で起こった事故を通して、私が見聞きした事実、感じた怒り、苦しみ、推測などを書き綴るものです。
誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。

 

 

 

 

冨田病院

私は隠蔽工作をしたのは、病院で、

保健所は医師会と共にそれを追求する立場にあると思っていた。

 

しかし、現実は、私の全くの認識の誤りであった。

 

保健所と医師会は、

病院の隠蔽工作に乗っかり、あるいは積極的に尽力した。

 

病院が起こした問題ではあるが、

さいたま市の検診であるために、

病院だけの責任ではすまされなかったからということなのだろう。

むしろ、全ての責任はさいたま市にあるそうだから。

 

 

巨額を投じ、巨大な利益を生む検診で

事故が起こったことを隠蔽したかったのか、

 

さいたま市、医師会、病院の間がどんな利害関係にあったのか分からないが、

お互い「不都合な事実を隠す」という点で

共謀して、あるいは、おのおのが隠蔽工作に尽力したのだろう。

 

 

私が考えるさいたま市保健所の問題

 

1) 被害者からの訴えに対し、医師会を通じ、

  病院から都合の良い(虚偽の)報告書を出させ、

  問題を終了とさせた。

 

  被害者にはその内容を一切告げなかったばかりか、

  さいたま市の検診であるため、事故の責任は最終的にさいたま市にあり、

  さいたま市の保険で治療等の保障を受けられることなど

 被害者には一切知らせなかった

  (それを知ったのは全て手遅れの数ヵ月後)

  それどころか、あたかも、病院に治療や保障など求め、

  裁判に勝つことは難しいなどといい、泣き寝入りするしかないと、

  それ以上、騒ぎ立てるのを諦めさせようとした。

 

 

2) 「謝罪」と虚偽の訪問目的を告げ、病院・医師会の関係者と共に

  個人宅にあがり込み、

  「カルテは絶対、病院が正しい」などと

 虚偽の主張を繰り返し、

  まるで被害者が、嘘偽りの訴えを起こしたかのように

  多勢にて責めたてるの加担した。

 

  彼らが謝罪と嘘をついてあがり込んだことを責め、

  何度も退去を求めたが、自分達の主張が正しいことと、

  今後、騒ぎ立てないように被害者を黙らせるために

  不当に居座り続けた

 

 

3) さいたま市保健所と大宮医師会に対して虚偽の報告書を出し、

  病院が絶対正しいと主張していたカルテの件が、

 病院の隠蔽工作だったことが発覚。

  裁判も辞さないといきり立つ被害者を宥め、

  「きちんと調査する」と約束。

  さらに、謝罪と嘘をついて、自宅に乗り込み、

  高圧的な態度で被害者を叩きのめした病院の事務局長

  保健所に謝罪に訪れ、被害者に謝罪する意思を示した

  他の調査が終わった後にしてほしいと、

  病院側の謝罪を止めたと。

 

4) 病院が「提出した報告書をきちんと見ろ」

  被害者を高圧的に責めたてたにもかかわらず、

  保健所は、病院の同意がないと見せられないと

 嘘をつき、報告書を隠蔽

  おそらく裁判になった時、不利になるような虚偽がたくさん

  書かれていたのだと思うが、

  別の形で知らせることなど検討するといって引き伸ばした挙句、  

  最終的に内容を口頭で説明することすら拒否された。

 

 

5) きちんと調査する、検討するという言葉ばかりで、

  時間を稼ぎ、ほとぼりが冷めるのを待ち
  病院のカルテの証拠なども全て消され、

  被害者がもう訴えることもできなくなっただろうという時点で

  「年度替り、担当者の変更」により、対応の打ち切りを

  一方的に告げてきた。

 

6) 病院が隠蔽工作をし、被害者の自宅にまで乗り込んで、

  虚偽の主張を繰り返したことについて、病院が

 すぐにでも再訪問し、謝罪したいとの希望を

 保健所が「謝罪は調査後に」と阻止したにもかかわず、

 

  調査が終了した後、被害者がせめて謝罪に来るべきと主張すると

 逆に「保健所には病院に謝罪しろと言う権限はない」と

  矛盾した主張で、被害者の要求を突っぱねる

  当然、その後、病院が謝罪に訪れることはなかった。

  本当に病院が謝罪の意思を示していたのか?

  被害者を宥め、訴訟などの行動に走らせるのを

 阻止するための保健所の嘘だったのではないか。

 あるいは、さいたま市の検診であり、

 裁判では被告はさいたま市になるため、

 病院に非を認めさせることは、不利になると

  時間稼ぎをし、全てをうやむやにするために、

  病院の謝罪を阻止したのではないか。

  

 

 

 

私が考える大宮医師会の問題

 

1) さいたま市保健所は検診の依頼者であるにもかかわらず

  病院に関して医師会が全ての責任を持っているので、

 口を出せないと言っていてた。

  事実を問いただすことも、苦情を言うことも、保障を求めることも、

  次回の検診から外すことも、何一つできないと。

  保健所は何の利害関係もない事故ならば、調査等できるのかもしれないが、

  さいたま市の検診では、さいたま市の税金により、さいたま市が行っているはずなのに、

  検診を行う実質的な権限は医師会にあり、

  全ての責任は「医師会にある」といわんばかり。

  事実ならば問題に思えるだが、

  責任逃れをしたい保健所の言い訳に過ぎないのか、良く分からない。

 

 

2) 保健所、病院と共に自宅に乗り込んできて、

  多勢に無勢の「被害者叩きのめし」に参加

  私は初め、医師会として、しっかりと対応すべく、同席してくれるのだと

  感謝までしていたのだが・・・。

 

  私の知っている事実はこれだけ。

  経過はともかく、最終的な事実から考えれば、

 

  問題を起こした病院がそもそも悪いのは間違いないが

  さいたま市の検診だからと、さいたま市の庇護下に逃げ込み、

  検診を円滑に問題なく行いたいさいたま市や医師会の思惑が

  病院を庇い、隠蔽工作に加担する結果になったと・・・

 

 

 そして、それを不服に思い、ブログで憤懣やるかたない気持ちを

発散させるしかない被害者を彼らが知ってどう思うのだろうか。

 

 結局、彼らの思い通りにことは運んだのだから、

負け犬の遠吠えと笑い飛ばすだろうか。

 

 それとも、名誉毀損とでもして、訴えを起こすだろうか。

 さいたま市の税金で。

 さいたま市の税金で不要な検診を行い、

 被害者は救わず、それ相応の仕事もせずに。

 

 

 保健所も、医師会も、病院も

 彼らは彼らの利害を守るために、必死に仕事をしただけだ。

 

 諸悪の根源は、前にも書いたとおり、彼らの良心や善意を信じて、

 騙された自分自身だ。

 自分自身の愚かさだ。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。

 

 

 

 

冨田病院

保健所は、

 

問題がある病院に対して、立ち入り検査などをして、

 

追求する立場にあるのではないのか。

 

 

今回、それをしなかったのは、

 

さいたま市の検診であり、検診を行った責任があり、

 

訴えるなら、病院ではなく、さいたま市を』と言っていた通り、

 

裁判になれば、被告になる立場であるためか。

 

 

だから、被害者を騙し、訴えを起こさせないように、妨害行為を行ったのか。

 

病院、医師会を連れて、自宅に乗り込んできてまで、

 

嘘偽りを並べ立て、自分達の正当性を主張し、

 

精神的に問題がある人間がありもしない被害を訴え出たと、は

 

高圧的に決め付け、精神的にも追い詰め、

 

口をつぐませようとしたのか。

 

 

それでも、訴え出ようとする意思を見せると、

 

自分たちがきちんと調査し、対応するからと、味方のふりをして、

 

こちらの行動を阻止し、実際に彼らは何も行わなかった。

 

したのは、病院の証拠隠滅の時間稼ぎのみ。

 

 

こちらが要求した病院側の回答もうやむやにし、

 

書面どころか、口頭でも、ごまかしにごまかし続けた。

 

 

調査も何もしていないのであれば、何も出せないのは当然のことであるが、

 

病院が当初出した、カルテの隠蔽工作をした虚偽の報告書すら、

 

「病院側の同意がないと見せられない」と嘯いた。

 

病院側は、こちらに対して、「報告書をきちんと見ろ」と

 

報告書を見ていないこと高圧的にを非難したのだから、

 

病院の同意はあるにもかかわらず、

 

のらりくらりと、ごまかし、数ヶ月引き伸ばしたあげく、

 

「出すつもりはない」と打ち切ってきた。

 

 

さいたま保健所が検診の依頼者であり、資金の出所が、

 

さいたま市民の税金であるにもかかわらず、

 

検診を依頼した病院が、きちんと検診を行わず、

 

さいたま市の検診だからと、さいたま市に全てを投げて、

 

その後の対応も一切としようとしない事に対して、

 

調査するどころか、きちんと対応させることもできず、

 

苦情の一つもいえないのは

 

大宮医師会」に任せてあるからという。

 

 

通常、何の利害関係もない場合は、

 

病院に対して、調査や指導もできるのに、

 

金を出し、依頼している、さいたま市の検診では何もできないというのは、

 

全くおかしな話であるが、

 

 

その理由が、間に大宮医師会がいるからというのであれば、

 

大宮医師会が諸悪の根源ということか。

 

 

問題が起こっても、口が出せない

 

さいたま市の検診に関して、

 

大宮医師会と何らかの利害関係がある

 

ということを言っているのも同然だと、私には思えるが。

 

 

 

当初は病院に全責任があると考え、

 

さいたま市保健所や、大宮医師会には何も責任はないと思っていた。

 

自宅に『謝罪』に来る病院と共に来てくれると聞いた時には、

 

医師会は、今回のことを重く受け止め、対応してくれるのだと

 

心から感謝もした。

 

 

謝罪などではなく、この件を握りつぶすためだとは思いもよらずに。

 

 

心から謝罪してくれるなら、それでよいと

 

全てを水に流すと、

 

人の良いことを考えていた自分が愚かだっただけだが。

 

人の良心や真心などを信じて、人の良いことを考えるなど、

 

今となっては、愚かとしかいいようがない。

 

騙した彼らを責める前に、人を信じて、

 

騙された自分が悪いだけだと猛省しなければならない。

 

 

今あるのは、人への不信と、憎しみ・・・

 

以前からそれをきちんと持っていれば、

 

こんな風に騙され、傷つくことはなかった。

 

毎日、痛みに苦しみ、憎しみを募らせ、

 

 

人を呪いながら、生きなければならないこともなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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冨田病院

神社に供養のために奉納された人形が、

 

「呪い」の人形として、テーマパークのアトラクションに展示されて、

 

怖がりたい」人達に人気となっているらしいが・・・

 

 

 

「呪い」など恐れるほどのものではないのだろう。

 

どんなに呪っても、呪いで人は死なない。

 

「呪い」に何の力もない。

 

呪われるような厚顔無恥な人達の、分厚い面の皮は

 

そんなもので傷一つつけられることない。

 

 

 

一年ほど前のあの日、

 

 

健康そのものの体で、病院に入っていき、

 

一時間後には苦痛に顔をゆがめながら、出てくることになった。

 

 

さいたま市で薦められているがん検診、

 

将来の健康のために、安心のために、

 

軽い気持ちで受けてしまった。

 

 

いつもの通り、痛みも何もなく簡単に終わるものと、

 

それが悪夢の始まりだとは知らずに、

 

終わったら、好物のモンブランを食べようなんて思いながら。

 

 

病気などで徐々に体に不調が現れるのではなく、

 

ある日突然、自分の体が、以前のものとは別のものになる。

 

 

大きな病気も事故も経験したことがない、

 

全くの健康優良児であった私には想像だにできなかった。

 

 

事故の直後でさえ、

 

「痛いのは一時。すぐに治る」と信じていた。

 

 

一年たつ今だに、後遺症を残し、

 

元の通りに体を動かすことはできないが。

 

 

私の体をこんな風にした人達、

 

自分達の利害のために、この件をもみ消した人達。

 

 

私のことなど、思い出しもしないのだろうが、

 

私は毎日思い出す。

 

 

体に痛みが襲うたび、

 

元通りに体が動かないもどかしさに悔し涙を流す時、

 

彼らのことを思い出す。

 

 

後遺症が残らず、健康に戻っていたら、

 

あの忌まわしい事件のことは、思い出すこともないだろう。

 

 

だが、忘れたくても痛みは繰り返す。

 

以前と同じように体は動かない。

 

 

いや、苦痛が残っていても、

 

病院と保健所と医師会が『謝罪』と称して、

 

自宅にまで乗り込んできて、

 

「お前が間違っている、嘘つきだ」と

 

カルテなどから私の主張が正しいと分かっているにも関わらず、

 

「カルテでは病院側が正しい」と嘘に嘘を重ね、

 

私を徹底的に叩きのめしたあの件さえなかったら

 

不運な事故だったと、頭から追いやることができたろう。

 

 

 

あの日から、彼らを死ぬほど恨み、呪っている。

 

彼らや彼らの大事な家族が、

 

私と同じような目にあえば、

 

私と、私の大事な家族が味わった苦しみを味わえば、

 

自分達がどのようなことをしたのか、少しは理解もできるのだろうかと。

 

 

私も家族も、この一年、たくさん苦しみ、数え切れないほど涙を流した。

 

その千分の一、万分の一でも彼らも苦しんでみればよいと。

 

 

 

病院の事務局長は、苦情を叩き潰すことには慣れているだろう。

 

もしかしたら、亡くなった患者の遺族の不信や苦情に対しても、

 

私にしたのと同じように、叩き潰しているのかもしれない。

 

 

例え、医療ミスによる死であったとしても、死人に口なし。

 

悲しみに暮れている、素人の遺族など、どうとでもごまかせる。

 

ミスがあったと思っていようが、「なかった。言いがかりをつけるな」と

 

私の時の同じように、

 

恫喝まがいに黙らせることは日常的なのかもしれない。

 

 

私の時にも、あまりにも堂々と分かりきっている嘘をつき、

 

私の感じた「苦痛」ですらも、「ない」と言い切った。

 

40分放置され、効果がなくなってしまっていた喉の麻酔すら、

 

「効いていた」と。

 

私の感覚は私だけのもの。

 

私の体の痛みなど、他の誰にも分かるはずがないものを。

 

私が外まで聞こえる大声で泣き叫んでいる場にいたわけでも、

 

その後、苦しむ私の体を診察したわけでもないのに。

(医師は苦しんでいる私に一瞥もせずに、自室に去った)

 

 

 

被害者に対する同情のかけらもなく、踏みつけにする

 

厚顔無恥さはその時だけのものではなく、やはり、

 

日常的にやって、慣れているとしか思えない。

 

 

でなければ、

 

少しでも人としての良心があれば、

 

「カルテに書かれている事実」まで、「なかった」と

 

明らかな嘘をつき、

 

真実を述べていると分かっている相手を叩きのめすようなことは

 

できないだろう。

 

いくら病院の利害のためでも。

 

お金のためでも。

 

 

病院に結果的に加担した保健所も医師会も

 

自分達の利害のためなら、

 

一般市民の1人や2人どうなったところで、どうでも良いのだろう。

 

激しく恨まれ、憎まれていても、痛くもかゆくもないのだろう。

 

 

呪われるほどのことをする人たちの耳に、

 

人の怨嗟の声など届かない。

 

人の涙も、苦しみ、憎しみも、

 

呪われるようなことを平気でする人達の厚い面の皮一枚、

 

傷つけることなどできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログは、さいたま市の検診で起こった事故を通して、私が見聞きした事実、感じた怒り、苦しみ、推測などを書き綴るものです。
誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。

 

 

 

 

冨田病院

どんなことがあっても、騙す方が100%悪い。

以前は、そう思っていた。

 

騙されないように注意することはとても大切なこと

ではあるが、

騙される方にも落ち度があるということとは

決してイコールではない。

 

と以前はそう思っていた。

 

だが、騙され、傷つけられた今になって

思うことは

 

騙される方が悪い

 

騙す方に非がないわけではないが、

騙された方が愚かだということには間違いない。

 

愚かでなければ、騙されることも、

傷つけられることもなかった。

 

自分が今、このように苦しい状態にあるのは、

全て自分の愚かしさが招いたことだ。

 

 

 

以前の、愚かしい私は

 

人の良心や善意を信じていた。

 

「心」を大切に考えていた。

 

 

 

だから、お世話になった病院と徹底的に争うということは考えていなかった。

 

役所の人間が市民のために働いてくれることを疑いもしなかった。

 

 

だから、彼らが『謝罪したい』と行って来た時には、

受け入れようと思った。

 

自宅を訪問してまで、謝罪したいという彼らの『心』を重く受け止め、

 

全てを不問に付し、争うつもりも、責めるつもりも一切なかった。

 

これまでにかかった治療費や今後の治療に関しても

 

求めたいところはたくさんあったが

 

心から謝罪してくれる『気持ち』があるのなら、それだけでよい。

 

一切を求めず、全てを水に流そうと・・

 

 

憎み、恨み・・・負の感情に心を支配されているのは、

 

何よりも辛いことだと、私はよく知っている。

 

そうして、無駄に過ごした時間もたくさんあったから。

 

 

誰かを恨み、憎みながら、涙を流し、過ごしても辛いだけ。

 

同じ一生なら、泣いてすごすより、笑って過ごしたい。

 

楽しいことを見て、考えて、楽しいことをたくさんして、

 

大事な人たちと、楽しく過ごしたい・・

 

死ぬ時には、良い一生だったと、笑っていきたい

 

そう考えていた。

 

 

だからこそ、彼らの『心』を信じ、彼らを赦し、

 

全ての負の感情を、その日限りで全て忘れてしまおうと

 

体は辛かったが、気持ちだけは前向きにそう考えていた。

 

 

しかし、ばかばかしいほど甘い考えだった。

 

それでも、あまりにも、悪い意味で人が良すぎた。

 

今となっては、あまりにも愚かだったと、苦々しい気持ちにしかならないが。

 

 

 

病院も保健所も医師会も、そのこちらの気持ちに付け込んだ。

 

『謝罪する』と騙して、自宅に乗り込んできた彼らがしたことは

 

謝罪などではなく、

 

被害者であるはずの私を、偽りの被害を訴えた人間であるかのように

 

偽りを並べ立て、責め立てただけだった。

 

 

偽りのカルテを盾に取り、全て病院が正しく、

 

こちらに非があり、こちらの訴えは全て嘘であると。

 

 

病院がそんなことをした理由は、

 

被害を訴え出た私に対する復讐、

 

カルテは絶対であるから、訴えても無駄だと

私に思い知らせ、

今後、裁判を起こさせないようにするため、

 

(彼らの主張のよりどころであるカルテそのものに虚偽があり、

隠蔽工作を図っていたことが、後に明らかにはなった。

 

カルテからは私の主張が正しいことが書かれていたので、

裁判になったら、病院側の手落ちが明らかで不利になる。

 

そのため、カルテを見せず、反対のことが書かれていると

私や家族に思い込ませ、裁判の芽を摘もうとしたのだろう。)

 


保健所も、医師会も、その病院の隠蔽工作は知らずに、

病院の虚偽の報告を信じていたような

そぶりを見せていたが、

真実のところはどうか分からない。

 

どちらにしろ、病院と一緒に、自宅に乗り込んできて、

私や家族を叩きのめすのに加担したことは、事実。

 

余計な仕事を増やしたくなかったのか、

厄介な問題を叩き潰したかったのか、

巨額なマネーが動く検診に

「事故が起こった」と傷をつけられたくなかったのか

 

私にはよく分からない。

 

 

保健所はこちらの味方になったようなそぶりで調査する、

 

などと言い、こちらの怒りを宥め、時間稼ぎをし、

 

結局、何一つしなかったようだ。、

 

 

こちらが出した質問に対する回答も、求める報告も、

 

対応するようなそぶりを見せておきながら、

 

信じて待っていた私達に、唐突に「年度替りで終了」を告げてきた。

 

何一つ、報告をもらえず、口頭ですら、教えてもらえず、

 

東京都の「のりべん資料」の方がまだましというような状態だった。

 

 

保健所も、医師会も、

 

病院が院内のルールを無視して、さいたま市のマニュアルも無視して、

 

いい加減な医師、看護師達による、度重なるミスが起こったことを知りつつ、

 

 

さらに、病院が、その事実を隠蔽するために、

 

カルテの内容を偽って報告したことを知りつつ、

 

 

しかも、その事実を隠し、カルテとは真逆の嘘をつき、

 

高圧的に被害者を踏みつけにするような行為を目の当たりにしていながら、

 

 

病院を咎めもせず、

 

病院に謝罪や補償をさせず、

 

引き続き、「さいたま市の検診を行う病院」として指定した。

 

 

 

普通なら、考えられない状況。

 

病院、医師会、保健所・・

 

その間に何があるのか分からない。

 

どんな利害関係にあるのかなど、分かりようもない。

 

 

 

様々な嘘に騙され、私達は踊らされた。

 

治療や補償に関することなど、

 

必要な情報を教えてもらえなかったことも、

 

消極的な騙しの一つだろう。

 

 

 

だが、彼らにとって、それは正しいことだ。

 

 

自分達の利益を守るため、

 

あるいは、面倒を避けるため、

 

息をするのと同じように、仕事をしているだけだ。

 

 

 

彼らは彼らの正義を生きている。

 

 

それに、負けて、騙されたと泣くほうが愚かなのだ。

 

 

彼らは私の人生と考え方を180度変えてくれた。

 


同じ一生なら、泣いてすごすより、笑って過ごしたい。

 

恨み、つらみ全てを忘れ、水に流し・・・

 

そう前向きに考えていた私は、

 

 

あの日、

 

保健所が『謝罪』と偽って、病院や医師会を連れて

 

自宅に乗り込んできたあの日に打ち砕かれた。

 

 

今、私は何よりも辛い状況にある。

 

体よりも心が。

 

誰かを恨み、憎みながら、涙を流す辛い日々から

 

抜け出せずにいる。

 

 

人の良心や善意など、今の私には信じられない。

 

人の良さそうな笑顔で、親切そうに近づいて来る人がいても、

 

冷ややかな目しか向けられないだろう。

 

 

今後の人生、役所も病院も、誰も信じられず、

 

負の感情に支配されながら、生きていくのだろう。

 

これからもたくさんの涙を流すのだろう。

 

 

あの日壊れてしまった心は、二度と修復できない。

 

 

 

だが、それら、全ては、自分が悪いのだ。

 

人は嘘をつく。

 

自分に都合の良いように、人を騙す。

 

だから、騙されたのは人を信じたりするから。

 

人を信じた自分が悪いのだ。

 

 

人の非を訴えても、正義を唱えても、

 

そんなもの、何にもならない。

 

傷つけ、壊されたものは元には戻らない。

 

 

全て悪いのは騙される自分だ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログは、さいたま市の検診で起こった事故を通して、私が見聞きした事実、感じた怒り、苦しみ、推測などを書き綴るものです。
誤解や勘違いなど、事実と異なる点があるかもしれません。

 

富田病院

 

さいたま市保健所も、大宮医師会も、

 

正しいと認めた。

 

私の訴えを退け、放置、無視して良いと決めた。

 

だから、間違っているのは私なのだろう。

 

冨田病院が正しいのだろう。

 

 

医師はカルテも確認せず、

 

手順を無視し、麻酔の指示を出さず、

 

受診者がそれに気づき、何度も指摘しているのに、

 

看護師達はそれを無視して、強行。

 

 

さらに、看護師達は私語には夢中になるけど、

 

手間を惜しみ、人数をまとめて一度に検診を行おうとし、

 

器具の消毒もまともにせず、受診者1人1人の状態も確認せず、

 

すべき注射などの医師の指示すら確認せず、

 

「おかしい」と感じ、誤りを正そうとする受診者の訴えは無視し、あげく

 

面倒そうに、「医師からの指示」と嘘までつく始末。

 

看護師はそんなことは言っていないといい、それが正しいと認められたようだが、

 

当事者の私と当の看護師だけはそれが嘘であると知っている。

 

 

 

受診者がひどく苦しみ、暴れ、やめてほしいと泣き叫ぶのを

 

中止するどころか、看護師達で押さえつけ、強行。

 

その後、苦しむ受診者の訴えを無視。

 

「全てさいたま市のマニュアル通りにやった」とさらに嘘を重ね、

 

責任をさいたま市に転嫁。

 

治療などの後の対応も拒否。

 

同意書には「全力で治療する」と書かれているにもかかわらず。

 

 

 

病院側は、「さいたま市の検診だから」とこちらからの再三の抗議を無視。

 

大宮医師会に救いを求め、

 

大宮医師会と、さいたま市保健所は、

 

一応、病院側に敬意の報告を求めたらしいが、

 

虚偽に満ちた報告書を「正しいもの」として認めた。

 

私の訴えが全て嘘であるとし、そのまま終了させた。

 

 

 

後に、さいたま市のマニュアル通りでもなく、

 

カルテを確認する、患者の意思を確認するなど、

決められた病院の手順も守らず、

 

カルテの内容すら、虚偽だったことが判明しても、

 

その判断は変わらなかったようだ。

 

 

 

冨田病院と、大宮医師会と、さいたま市保健所は結託し、

 

「謝罪したい」と嘘をつき、自宅にまで乗り込んできた。

 

偽りだらけの内容で、被害者であるはずの私を叩きのめした。

 

「全て精査した」

「カルテにあるのだから間違いない」などと、さらに嘘を重ね、

 

保健所も医師会もそれを元に病院側にたって、

 

病院を庇うような発言しかしなかった。

 

 

医師や看護師が口頭で言った言わないはともかく、

 

「カルテにある事実」まで捻じ曲げ、虚偽の報告を重ねたのだから

 

保健所も医師会も、私の言い分を少しは汲んでくれるのではと期待したが、

 

そんなことはまったくなかった。

 

 

病院が出した虚偽だらけの報告書を見せてくれるように依頼しても、

 

「病院側の了承がいる」などとのらりくらりと交わされ、

 

病院側は「報告書に書いてあるから、報告書を見ろ」と

 

「報告書を出したのにそれを見てないのか」といわんばかりに

 

私を責めたくらいなのだから、病院は見せることを了承しているにもかかわらず。

 

 

まるで東京都が、「業者の了承が得られていない」として

 

出したのり弁資料の言い訳のようだ。

 

行政機関というのは、都合が悪いことになると、どこも同じ言い訳をするのか。

 

 

病院の書いたものを見せるのが「法的に」問題なのなら、

 

内容を別紙にまとめて、教えてくれと言っても、

 

「確認する」と言って、ごまかし、

 

最後に、年度が変わるため、対応の終了を告げてきた時、

 

「こちらの訴えに対する、病院の回答を書面でもらえないのか」とたずねても、

 

「そのつもりはない」と口頭で内容を話すことすら拒否した。

 

 

対応していると見せかけ、のらりくらりと時間稼ぎをし、

 

病院側が、カルテの内容などの証拠を隠滅できるだけの時間を与え、

 

「年度末、時間切れ」とした。

 

 

これは病院を庇うというより、

 

「さいたま市の検診」のため、さいたま市が訴えられることを阻止するためなのかもしれない。

 

『訴えるなら、病院ではなく、さいたま市を』と言っていたくらいだから。

 

 

私は保健所の人達を、味方と信じて、

 

親身になって対応してくれているものと勘違いしていた。

 

 

後から考えれば、全て嘘ばかり。

 

今となっては後の祭りだが、当初から、弁護士などに頼り、

 

対応をお願いしていたら良かったのだろう。

 

 

 

 

だが、このような病院がおかしいと感じる私が間違っているのだろう。

 

 

さいたま市保健所も大宮医師会も正しいと認めたのだから。

 

私はこんなおそろしくいい加減な病院で、

 

体が傷つく恐れがあるような検査をしたくないと思うが、

 

大宮医師会は、

 

「さいたま市の検診を任せるのに相応しい病院」として、

 

今年度もずっと検診の行う病院に指定し続けている。

 

 

指摘があったミスについて、不手際について、

 

改めようとするのなら、それでも良いのだろうが、

 

改めるどころか、「全て正しく、間違ったことなどしていない」と嘯き、

 

さいたま市にまで、虚偽の報告をしたにもかかわらず、

 

何のお咎めもなし。

 

 

税金で行われているさいたま市の検診で、問題を起こしたにも関わらず、

 

カルテの内容まで偽って、さいたま市に正式に虚偽の報告をした。

 

全てのさいたま市民に対する重大な裏切り行為と思うが、

 

この病院の行動は咎めるには値しないと。

 

 

さいたま市は大金を投じて、検診を行っているにもかかわらず、

 

病院に苦情を言うことも、

 

病院を選定する権利を持たないのだと。

 

全て、医師会が握っているので、口出しできないと。

 

 

それも、一般市民からすれば、自分達の税金が使われているのに何故?と

感じてしまうが。

 

そう感じる私の方がおかしいのだろう。

 

 

 

さいたま市は公にアナウンスしてほしい。

 

本当に病院が正しいと思うのなら、

 

それに対する自分達の判断や対応が正しいと思うのなら、

 

 

「こういう事故を起こした病院で、

 

虚偽の報告をして、ミスの隠蔽工作を図り、

 

受診者に全ての責任を押し付けた病院だが、

 

これらの病院の行動には何の問題もないと判断し、

 

今年度も検診を行うのに相応しい病院として指定する」

 

と。

 

 

事故は事故として、それは置いておいても、

 

病院がさいたま市保健所に対して、虚偽の報告をするなど

 

あってはならない不祥事

 

 

それを公表し、病院にミスを重ねた事実を反省し、改める気がないのなら、

 

今後、さいたま市民の健康のための検診を任せるべきではないと

 

私の主張を退けたのだから、

 

 

私の訴えが間違っていると、

 

病院が正しいと、

 

その病院を正しいと大宮医師会と、さいたま市保健所が正しいと。

 

 

正しいと思うのなら、隠すことはせずに、公表してほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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冨田病院

内科は、驚くほど患者が少なかった。

 

私が受けた被害が、「たまたま、運悪く」ではなく、

 

やはり、普段から色々問題がある病院なのだろう。

 

さいたま市大宮区の東に数少ない精神科のある病院だから、

 

ある程度、そちら関係の患者は来るのかもしれない。

 

 

 

病院HPの院長挨拶では

『病院は、「病気や怪我といった体の問題が起きてから行く場所」と思われがちですが、当病院では心の問題も気軽にご相談いただけるよう・・』

 

などと、心も大事にしているようなことを言いながら、

 

 

医療事故の被害者を『情緒不安定な人間が騒いでいるだけ』と

 

精神的に問題がある人間であり、訴えは全て嘘。

 

まともに取り合わなくて良いと・・

 

まるで見下すような態度をとり続けた。

 

 

もし、本当に私が精神疾患を患っていたとしても、

 

手間を省き、ミスをし、あるいは、故意に麻酔代を節約し、

 

するべきはずの麻酔もせずに、

 

痛いはずのない、ただの検診で、痛みを訴え、暴れ

 

泣き叫んでいるというのを無視してよいのか。

 

ただの検診、中止すればよいだけなのに、

 

押さえつけて、最後まで続行する必要がどこにあるのか。

 

 

 

この病院では、

 

精神病患者であれば、傷つけようとかまわないのか、

 

やめてと泣き叫び、苦痛を訴えるのを無視してよいと考えているのか。

 

 

精神科の患者に対して、いつもそのような態度で、

 

言いように食い物にしているだけなのか。

 

 

この病院は精神科もあり、人の心を大切にしているようなそぶりを見せ、

 

ただ単に金儲けのことしか考えていないのか。

 

 

『さいたま市の認可を受け「医療法人 藤慈会」となり・・』

 

とHPにあったが、

 

このような病院をさいたま市は、認可する。

 

やはり、そこにも、色々あるのだろう。

 

今回の件で私が、さいたま市、医師会などの間に、

 

色々な癒着があるのでは、と感じた通り。

 

 

 

ろくに、器具の消毒もせず、

 

患者を流れ作業的に扱うような病院だが、

 

血液透析センターまで開設したようだ。

 

こんなところに通うなんて、恐ろしい。

 

こんなひどい環境の病院に通って、

 

具合が悪くなっても、

 

「患者の感じ方の、心の問題」だと。

 

例え死んでしまっても、

 

「患者に問題があった」と

 

患者と遺族を踏みつけにしかねない病院なのに。

 

 

埼玉県がこの病院に

 

多様な働き方実践企業 【プラチナ認定】を与えたと、

 

女性がいきいきと働け続けられる環境作り???

 

 

看護師は、検査時、検査室でおしゃべり、

 

1人1人に対応する手間を省略し、流れ作業的に

 

医師からの指示もろくに確認せず、

 

必要な注射さえしないというミスを連発し、


こちらから、何度も訴えても、無視し、

 

痛みを訴えても、押さえつけ、強引に検査を強行する。

 

時間がないから、面倒だから???

 

これが、女性がいきいきと働いているということなのか。

 

 

こんな病院でも、埼玉県もさいたま市も評価しているのか。

 

本当に滅茶苦茶だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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冨田病院