私の5歳下の妹が、18日に亡くなりました。
実家が貧乏で私は、畑仕事の作男として叔母夫婦の家に預けられ
今回18日に亡くなった妹は、伝手を辿って養女に預けられました。
第二次世界大戦の混乱の中に有って、妹と再会したのは終戦から暫く経った
私が25歳で所帯を構え、そこえ妹が区役所から訪ね歩いた20歳の時でした。
偶然にも私が日本舞踊をし、妹も舞踊の先生をしていたもので、
二人共演で舞台を立ち上げたいとなり、取り分けて大舞台となった
浅草公会堂の時の写真を取り上げて、何枚かをここに張り出しました。
流石に名人の左甚五郎の人形です。夜中になると動き出すのですよ。
妹
花月
男振りと女踊りのひょうきんさに、お客様は大喜びです。
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峠の万歳と言う出し物です。才蔵とお師匠さんが別れを惜しむ場面です。
花月
妹 ![]()
お正月の各屋のお家回って、角付の唄や踊りを見せてご祝儀を頂く商売ですね。
家内の写真も出て来ましたから、たまには皆さんに見て戴きましょう。
春の小川のせせらぎに、布を晒して居る所を戯曲化したものです。
私の身の回りから、大事な人が次から次へと、旅立っていく寂しさは
言葉にできませんね。せめて安らかに天国に参られます様に。ハイチャ、











