あなたの目の前の人物に出来ることがあるとすれば

 
表層的な悩みに惑わされることなく
 

その人物のもつ『本質的な求め』にあなた自身が気づくことです。

 

 

 

 

目の前にいる悩める人に出来る助言はありますか?
 

 
いいえあなたにはそのひとを変えることは出来ません。
 

言葉をかけることは可能ですが、
 

その悩める状態を変えることは出来ません。
 

出来ることがあるとすれば
 

目の前にいる悩める人の、
 

悩んでいる表層的なそれでなく
 

その奥に隠れている本質的な求めに気づいてあげる事です。
 

その本質に気づいてあげることが出来れば
 

その悩みが解決できないものではないことにも
 

気づくことが出来るでしょう。
 

その取るに足りない表層的な悩みに気づくことです。
 

本質的な求めは複雑ではありません。
 

ですからあなたは
 

言葉を選ぶことなく見守ることが可能になります。
 

それと同時に本質的な求めに気づくことによって
 

目の前の人物もまた気づくためのサインを
 

受け取ることが可能になるでしょう。
 

そのスイッチは目の前の人物がもっています。
 

ですが
 

あなたの中でクリアになったことで、
 

目の前の人物に好影響が現れるのです。  

 

 

 

 

 

 

地球上の動物たちが大自然のなかで自由に生きていけるように、 
 
人もこの地球上にあるすべてに対し自由にいきることが可能です。
 
動物たちが生を受けたそのときから
 
大自然との関係において意図なく自由に過ごせるように、 
 
人もまた生を受けたそのときから
 
近代的な地球の状況との関係において
 
意図なく自由に過ごすことになんら罪悪感を持つ必要はありません。
 
生を受けたその瞬間からあなたの現世は始まりますが、
 
その恩恵を享受し何不自由なくいきることにおいて
 
過去から続く人類の営みに罪悪感を覚える必要はありません。
 
過去世に生きることもまた与えられた自由であり、
 
現世を生きる事もまた与えられた自由です。
 
そこに隔たりはありません。
 
ごく自然にそれはなされているのです。

 

目の前の出来事はすべて比較のために起こっています。
 
それはあなたの世界とを比べるために起こっています。
 
それによりあなたは
 
より求める創造を感じとることが出来るでしょう。
 
ここにあなたは
 
あなたの存在の価値観で比較を始めようとします。
 
ですが目の前に表れる比較のための出来事に
 
あなたの価値は全く関係ありません。
 
上下左右比べる必要もありません。
 
あなたはあなたで居ればいいのです。
 
あなたはあなたの創造をただ求めればいいのです。

 


 

その誤解は必要があって起こっています。
 
どういう言い方をしたとしてもその誤解は
 
起こるべくして起こっています。
 
あなたは抵抗を試みるでしょう。
 
ただし抵抗をすれはするほどそれは際立ち
 
誤解は大きく膨れ上がるでしょう。
 
だとしたらあなたはどうしますか?
 
どの時点でも受け入れることは可能です。
 
受け入れさえすれば、
 
それが起こるべくして起こっていることを
 
理解するでしょう。
 
すべてはうまくいっています。
 
すべては愛からはじまります。
 
気付きのためにそれは起こっているのです。
 
気づくための誤解です。
 
その時あなたは寂しさを感じるかもしれません。
 
寂しいと感じることに遠慮は必要ですか?  
 

比べようのないもの。
 
たくさんの人に響く言葉がある。
 
たったひとりにだけ届く言葉がある。
 
わたしにだけ聴こえる声がある。
 
そのどれもが大切なタカラモノ。