日もすっかり暮れた中、私は妻の実家に向かいました。
実家ではみんなが心配そうに私の帰りを待っていました。
私は義父母に妻と赤ちゃんの状態を伝えました。
私の説明が至らなかったのか、それとも義父母達の心境として事実が受け入れないのかは分かりませんでしたが、あまり私の説明を理解してくれている様な感じは有りませんでした。
でも子供たちは少し違いました。
ママの事は心配そうでしたが、赤ちゃんが産まれたことが嬉しくいつ会えるのか?そんな事を言っていたような気がします。
私はその日は妻の実家に泊めてもらい、次の日の朝に再び病院に向かいました。
その日は妻と一緒にNICUに朝から向かいました。
まず、NICUに着くと担当の女医さんと部長先生からお話が有りました。
二人ともとても優しく私達夫婦を迎い入れてくれましたが、その頃の私は何か疑心暗鬼になっており、誰を信じていいのかよく分かっていなかった様な気がします。
先生達は今の赤ちゃんの状態について説明してくれました。
検査の結果で気になる点が何点かあるとの事でした。
まず一番心配なのは脳に白い影が有ることらしく、今の状態でははっきりは分からないが、この影がひどくなると何らかの障害を引き起こす可能性が高いと言われました。
それから心肺機能が弱い事、それにともない行っている人口呼吸のせいで起こる未熟児網膜症の可能性、この大きさで産まれてきた赤ちゃんには数々のリスクが伴う事。
色々な説明を聞き、色々質問もしましたが、やはりパニック状態になっていたのかあまり上手くは理解出来ていなかった様に思えます。
私は耐えれずに、「先生、この子は生きているんですよね‼生きてたら上等ですよね‼ねぇ、先生・・・」
先生は優しく笑って
「そうですよ‼お父さん‼この子はとっても頑張ってますよ‼だからみんなで応援しましょうね‼」
と言ってくれました。
少し嘘臭く感じながらも、嫌な感じはしませんでした。
ただ、分かっていたのは、この人達を信じていかないとうちの子は生きれない・・・それだけは、分かっていました。
妻もそう思っていた様ですが、自分が未成熟を生んでしまった事にかなりショックを受けていたと思います。
私はこの頃よく馬鹿の一つ覚えの様に妻に「生きてりゃ上等(^-^)」
笑いながら言っていました。
そう言う事で、おそらく自分自身の不安を打ち消したかったんでしょう。
私は妻に何の根拠もないのですが、大丈夫だと言い続けました。
でも、私は正直怖くて仕方有りませんでした。
だけど、人前で不安を口にする事が出来ませんでした。
不安を誰に言うと、周囲がどんどん不安になって何もかもが駄目になるような気がしました。
私の周りでこの時に正常な判断が出来る身内は誰もいなかった気がします。
私はその不安が募るとNICUに一人で行き彼の手を握り大丈夫だよ・・・絶対に大丈夫だ・・・とおまじないみたいに呟いてました。
そして私は彼に語りかけながら、涙を流していました。
実家ではみんなが心配そうに私の帰りを待っていました。
私は義父母に妻と赤ちゃんの状態を伝えました。
私の説明が至らなかったのか、それとも義父母達の心境として事実が受け入れないのかは分かりませんでしたが、あまり私の説明を理解してくれている様な感じは有りませんでした。
でも子供たちは少し違いました。
ママの事は心配そうでしたが、赤ちゃんが産まれたことが嬉しくいつ会えるのか?そんな事を言っていたような気がします。
私はその日は妻の実家に泊めてもらい、次の日の朝に再び病院に向かいました。
その日は妻と一緒にNICUに朝から向かいました。
まず、NICUに着くと担当の女医さんと部長先生からお話が有りました。
二人ともとても優しく私達夫婦を迎い入れてくれましたが、その頃の私は何か疑心暗鬼になっており、誰を信じていいのかよく分かっていなかった様な気がします。
先生達は今の赤ちゃんの状態について説明してくれました。
検査の結果で気になる点が何点かあるとの事でした。
まず一番心配なのは脳に白い影が有ることらしく、今の状態でははっきりは分からないが、この影がひどくなると何らかの障害を引き起こす可能性が高いと言われました。
それから心肺機能が弱い事、それにともない行っている人口呼吸のせいで起こる未熟児網膜症の可能性、この大きさで産まれてきた赤ちゃんには数々のリスクが伴う事。
色々な説明を聞き、色々質問もしましたが、やはりパニック状態になっていたのかあまり上手くは理解出来ていなかった様に思えます。
私は耐えれずに、「先生、この子は生きているんですよね‼生きてたら上等ですよね‼ねぇ、先生・・・」
先生は優しく笑って
「そうですよ‼お父さん‼この子はとっても頑張ってますよ‼だからみんなで応援しましょうね‼」
と言ってくれました。
少し嘘臭く感じながらも、嫌な感じはしませんでした。
ただ、分かっていたのは、この人達を信じていかないとうちの子は生きれない・・・それだけは、分かっていました。
妻もそう思っていた様ですが、自分が未成熟を生んでしまった事にかなりショックを受けていたと思います。
私はこの頃よく馬鹿の一つ覚えの様に妻に「生きてりゃ上等(^-^)」
笑いながら言っていました。
そう言う事で、おそらく自分自身の不安を打ち消したかったんでしょう。
私は妻に何の根拠もないのですが、大丈夫だと言い続けました。
でも、私は正直怖くて仕方有りませんでした。
だけど、人前で不安を口にする事が出来ませんでした。
不安を誰に言うと、周囲がどんどん不安になって何もかもが駄目になるような気がしました。
私の周りでこの時に正常な判断が出来る身内は誰もいなかった気がします。
私はその不安が募るとNICUに一人で行き彼の手を握り大丈夫だよ・・・絶対に大丈夫だ・・・とおまじないみたいに呟いてました。
そして私は彼に語りかけながら、涙を流していました。