離婚離婚。

東京帰る。

東京には行きたくない。

友達を離れたくない。

東京行く、私もここ嫌い。

東京行く、おじいちゃんとおばあちゃんと

お父さんなんか大嫌い。

東京行く、東京の方が学校たくさんあるし。

おじいちゃんもおばあちゃんも嫌いだけど

ここにいる。

 

私と娘たちのいろいろな意見が交錯しました

 

どのようにしたら娘たちが苦しまないのか...

たくさん考えました

 

隣では自分たちのことしか考えてない義両親

夫は義弟宅に行き、自分だけ大変みたいな態度

義弟たちは、もともと私のことが嫌いだった

ので、これ幸いにと、追い出す準備

 

でも、そんなことは本当にどうでもよかった

 

娘たちの気持ち、4人いるけど、

みんなの気持ちを大事にしたい

って、それしかなかった

 

怒涛の2か月くらいが過ぎ、

本当に毎日いろいろあったけど、

ここに住み続けることになった

 

でも、それって、

私にはしんどすぎる選択だった

 

ここにいたいと願った娘たちも、

手放しで喜んだわけじゃない

 

義両親がここから出てってと言った・・・

今となれば、義弟の工作だったんだけど、

「次男がそういうことで決めたから」と

義弟のせいにして、私と娘たちをここから

追い出すようにしていたのは、義両親も同じ

 

ある程度の話し合いを全て娘たちに聞かせた

 

単純に私が母親ってだけで、

私が正しいと思うのではなくて、

話を聞いて、どの考え方が正しいかを

娘たち一人一人が判断すればいいと

思ったから

 

「おじいちゃん、おばあちゃん、そんなこと

言ったんだ....」

「私たちに出てってほしいんだね」

「もう出て行こうよ、こんなところ」

 

あの時、娘たちがもった感情は、

ここに住んでいて、風化していません

 

 

--続きます--