母はピッキングの仕事を5年ほどし

その会社が移転するのをきっかけに、

区の助成でヘルパー講習を受けて

ヘルパーとしての仕事を始めました

 

自転車で行くので、心配もありましたが

母曰く、お手伝いやピッキングでたくさん

汗を書いて、とりすぎた薬が体から消えた

みたいで体が軽い、元気になって幸せ‼と

健康で働けることに生きがいを感じてるよう

でした

 

ある時、母の故郷の遠い遠い親戚にあたる

方のお宅にヘルパーとして派遣されました

遠い親戚すぎて、叔母とか、そういう名称が

なんなのかも分からないけど

とにかく遠い親戚って感じです

 

私も小さい時に行ったことがあります

こちらのおじさんが大学病院の口腔外科で

親知らずの抜歯で失敗かなにかで、、

お亡くなりになった時です

母からの故郷からは、お悔みにくる方が

いないとかで、うちの家族が代表して

伺いました

 

それから15年とか経ってると思います

 

本来、親戚とか繋がりのあるところへ

ヘルパーは入ってはいけないという決まりも

あるみたいですが、そちらの奥様のご希望で

母はヘルパーとして通うことになりました

 

それからしばらくして、私も家をでました

それから何年かは、

地主さん(正確には相続された方)から

お借りしていたところに、父、母、妹で

暮らしていましたが、広いのと、父が

工場の中の部屋に泊まることも多かったので

こじんまりとしたマンションに引っ越した

とのことでした

 

母はヘルパーをしていましたが、

親戚の方のお宅からは家が離れてしまったので

そちらへの訪問はできないことになりました

しばらくすると、父、母が親戚の方から呼ばれ

話を聞きにいきました

そうすると、母以上のヘルパーさんがいない

また、母とは故郷の話ができていたことが

楽しかったこと、などなど、、、

できるならば、この家に一緒に住んでほしい

とのことだったそうです

 

一緒に住んだらヘルパーとしてはお世話が

できないこともありましたが、母への手当、

家賃は不要など、とにかく一緒にいてほしい

ということで、父と母は親戚宅に居を移しました

妹はこのタイミングで家をでました

 

毎月家賃だけでも9万近くを出費していたのも

母の給料からですので、それがなくなるだけでも

ありがたいのに、ヘルパーとして働いていた分の

手当も頂けるということで、、

母って、お金に困らない星の下にいるような

本当に不思議なことがおこる人だと思います

 

--続く