超敏感人② ~Highly Sensitive Person~ | *:.。..。.:+・゚●スピリチュアルな日常*:.。..。.:+・゚ほんとのことがしりたい●*:.。..。.:+・゚

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Spiritual…霊的◆Spirituality…霊性、精神性◆Spiritualism…精神主義、心霊主義◆霊… 不思議な力や働きをもつ存在。万物に宿る精気。肉体に宿ってその活動を司る精神的実体。魂。

前回の続きです。

 

ハイリーセンシティブパーソン(以下HSP)は

人種によっても割合が違うみたいです。

ある記事によれば

一例としてHSPはアメリカ人よりも日本人に多く分布するとのこと。

両国の国民性を比べてみればたしかにうなずける部分があります。

 

些細なことで動揺してしまう。

繊細すぎるがゆえに世の中が生きづらくて仕方ない。

そんな思いが究極的になってくると自死という手段を選ぶ人もいます。

 

厚生労働省が公表している平成28年版の自殺対策白書によると

 

世界保健機関のデータがとれる約90カ国中、日本は自殺者数ワースト6位。

また日本人15~39歳の死因は、事故やがんを上回って自殺が1位となっている。

 

しかしお役所が公的に発表している数字ですからおそらく実数ではないと思われ

また自殺者数に関する別の機関の資料や統計方法によってもばらつきが見られますので

事実とは多少の誤差はあるのでしょうが

おおよその目安にはなるわけです。個人では調べようがありませんしね…

 

さらに同資料を男女別で見てみると日本人女性の自殺者数はワースト3位。

命こそ落とさなかったがなお生きていかねばならない未遂に至っては未知数だと思います。

 

これらの点を線で繋げてみると、なんとなく見えてくるものがあると感じるのはわたしだけでしょうか。

そこは各人の想像に任せて話をHSPに戻します。

 

HSPは精神面だけではなく五感も非常に敏感で

大きな音が耐えられないのはもちろんのこと

時計のカチカチ音など小さな音でさえも平常心を保てなくなったり

ちょっとした物音をキャッチしすぎて睡眠に支障をきたしたり

他人のつけている香水の匂いでひどく具合が悪くなったり

 

強い光(太陽光線や反射光等)がとても苦手だったり

濃い味や熱い辛いなどの刺激物やカフェインが無理だったり

皮膚感覚が敏感で暑い寒いはもちろんですが

微妙な湿度の変化でとても不快感があったり

ちょっとした刺激を痛みに感じて耐えられなかったりと

 

こういうことが実生活に反映されると一見わがままっぽい感じも漂うような内容ですが

これらは生体反応なので反省のしようも改善のしようもありません。

できるのは我慢ぐらいでしょうか。

 

また、ちょっと話は変わってスピリチュアルな世界でよく取り沙汰される「エンパス」。

エンパシー能力(共感力)が一般よりも強い人のことを称してエンパスと言っていますが

HSPの人はほぼエンパス体質だとも言われているようです。

余談ですがその真逆の極みがサイコパスですね。

 

外界の微細なエネルギー変動を感知する力が強いので

他人の心模様を人一倍敏感に感じとってしまうことは当然と言えば当然かもしれません。

 

またややこしいことには、HSPやエンパスは鬱病と診断されることも多いそうです。

正義感も責任感も罪悪感も自己嫌悪も人一倍強いので

自分を責めて責めて…鬱と診断された人は本当の鬱状態を誘発し、さらに生きづらくなっていくのです。

 

もしも。

なんとなく「自分はHSPかもしれない…」と感じる方がおられたら

以下のサイトからセルフチェックが無料でできますので試してみてください。

 

『罪悪感を感じ、落ち込みやすい。やけに生きづらいあなた。HSP診断してみませんか』

http://www.huffingtonpost.jp/reiko-hidani/hsp-check_b_16779768.html

 

さて、長くなりましたがようやく本題に入ります。

わたしがHSPの要素を持っている人たちに真剣にお伝えしたいことは…

 

「そんな自分を受け入れてあげてください」

 

ということです。

 

かつてわたしがHSPという言葉を知らなかったころ

自分の性質が一般的ではないことが原因でとても苦しい思いをしました。

あまりにも自分を知らなすぎたし

無知であるがゆえにそんな自分を受け入れることがまったくできなかったからです。

 

でも今は

それらの特性は欠点ではなく、ただそういう性質に生まれついただけなのだという認識のもと

過剰反応している自分に気付いたときは、それを嘆くのではなく

「ああ…HSPっていう下地があるから、わたしはこういうふうに感じるんだな」

とごく自然に受け入れ、そのまま受け流すことができるようになりました。

以前のように取り立てて問題視もしなくなりました。

 

とは言え、すぐにそれができるようになったわけではありません。

それこそ水戸黄門の印籠みたいに「あたしはHSPなんだよ!仕方ないでしょ!」と

HSPを免罪符のようにブンブン振りかざしていた時期もありました。

 

HSPもエンパスも、それを盾に何かの権利を得るようなものではありませんし

「あたしエンパスだからさ~」と得意げにカミングアウトするものでもありません。

 

最初はただただ自分を認識する作業があるだけです。

自分の個性を認め受け入れる手段として

また自分の深いところを知る手立てとして、HSPがもっと広く認識されたらいいなと思うのです。

自分を責め、世をはかなんで自ら命を絶つ人が少しでも減ることを祈りつつ。。。

 

親から「あんたは昔から神経質で育てにくい子だった」とか

周りから「考え方がおかしい」とか「わがまますぎ。どうしてみんなと同じにできないの」とか言われて

自分が悪いんだと自分を責めている人がもしいるとしたら

 

そうじゃないんですよと言いたい。

それは生まれた時に授かったギフトです。

その特性を存分に活かした時に発揮できる能力は、本当に素晴らしいものなんです。

 

右脳優位型が多い感性感覚重視のHSPは

人が気付かないことに気付く。人が感じないことを感じる。

人の気持ちに深く寄り添う。想像力が創造力になる。

物事の流れやディテールが容易にイメージできるなど。

 

数え上げたらキリがありませんが、正しい認識があればこの特性は宝物です。

ただ、一般的な社会生活や集団行動はちょっと苦手かもしれません。

だからこそ自分の特性というものをしっかり理解した上で、仕事や環境を選ぶことも大事です。

 

しかし集団行動が苦手だからといって社会人失格ではありません。

みんなと同じようにできないからといって

人として半人前なんてことは絶対にあり得ないのです。

 

自分の性格を引け目に感じたり、自分を責めるために与えられた性質では決してありません。

「でも周りがそういうふうに接してくる…」と言いたくなる気持ちはわかります。

 

でもそこにあるのは真理の法則です。

自分が自分にそのレッテルを貼っていることをまず知ってください。

目には見えないフィールドで、自分が自分に貼っているレッテルを他人は無意識に感じとり

そのレッテルに見合った接し方をする流れがあります。

 

自分が自分にダメ人間のレッテルを貼っているのなら

他人はちゃんとダメ人間への接し方をします。

自分が自分に個性的でユニークな人間だというレッテルを貼っているのなら

他人はちゃんと個性的でユニークな人への接し方をします。

 

もちろん貼った次の日からいきなりそうなることはありません。

一滴ずつの水が長い時間をかけて岩の形を変えてしまうように

わからないくらい少しずつその変化は起きています。

自分の価値は実は自分で決めているのです。

 

自分だけの感性。

自分だけの感覚。

他人と一緒でなければならないなんて常識はもう通用しない時代に来ていますし

違いを尊重しながら、一人でほくそ笑むのではなくみんなで笑うのです。

 

除夜の鐘が新年の扉を叩き、新しい年が始まりました。

2018年はおそらく世界的に見てもいろんなことが起こると思います。

 

しかしまずは足元から、自分からです。

自分の選択によって起きたことの責任を自分が引き受ける。

それが本当の意味の自由ではないかと思うのです。

自分を幸せにできるのは最終的には自分だけです。

 

誰かがいないと成り立たない幸せや、何かがないと成り立たない幸せは

「誰かに」「何かに」責任を押し付けている状態かもしれず

何でも好き放題にできることだけが自由とは言えません。

 

自分の力で自分を幸せにする。

そのためにも、たった今この瞬間から

自分をもっと深く知り、自分を受け入れ、自分を愛することを始めてほしい。

自分に与えられた限りない可能性に、しっかりと目を向ける年にしてほしいのです*・゚・*:.。.*.。.:*・☆