私はずっと
お母さんのことを「かわいそうな人」「不幸せな人」と
思っていました
めちゃくちゃ失礼ですよね笑
夢だった仕事を辞めて
ずっと家の仕事の手伝いをしていて
なんて不自由なんだ、かわいそうだな~って思ってたんです
でも、それは大きな間違いだったことに気づきます
わたしが、ただ、そう見ていただけでした
なんてかわいそうな人なんだ・・という前提でみているので
その色眼鏡によって、全然関係ない出来事でも
あ、またお母さん我慢している、かわいそうだ・・とか思ってたんですね
ですが、
自分で、見たいようにそう見ている、ということに気づき
ほんとにお母さんは不幸せなのか?かわいそうなのか?
という、ある種疑いの目をもって、
フラットに見ることを意識したんですね
そしたら、、、
なんと可愛くわらうことでしょう・・
こんなかわいらしくにっこり笑ってるんだ~って思ったんです
めちゃくちゃお茶目な笑顔で家族の中にいるんです
あいかわらず毎日すごく忙しそうなことに変わりはないけど
あ~~大変大変って言いながらも
その姿は全然不幸せなものにはみえなかったです
やりたいことを全力でやっている風にみえましたし
毎日を目いっぱい生きているように見えました
ほんとに、何十年と
かわいそうな人だ・・と勝手に決めつけ
ほんとうにごめんなさいと思いました
なぜそんな風にみていたか?
実は、わたしはお母さんをかわいそうな人だときっと思いたかったんですよね
かわいそうだから、私が家に帰ることで笑顔にさせることができる
私が何かをすることでお母さんは幸せになることができる
逆にいうと
わたしがいないとお母さんは幸せになれない
とさえ、思っていたんですよ
そんな風に、お母さんを利用して、自分の存在意義を
自分で確かめたかったんだと思います
自分がいないとだめだと思いたっかった
ずっとお母さんから束縛されている気がして嫌だったのですが
ほんとうは自分の意味を感じたかっただけなのだと気づきました
誰も私を縛ってはなく、自分で自分を縛っていました
お母さんは私がいなくたって
毎日を楽しく過ごしている
自分で自分をご機嫌にできる幸せいっぱいな人だと気づいた時、
ずっと感じていたお母さんからの束縛感がなくなり
何も気にせず自分らしく幸せになっていいんだ~と自分も思えるようになりました
ほんと、人は見たいようにものを見て、捉えたいように出来事をとらえるんだなと
自分の都合のいい解釈をする生き物なんだな~と思いました
家族は、自分も含めみんな自分で自分を幸せにできる人なんだと
そんな家族と一緒に過ごせる時間がすごく貴重で尊いものに変わってきました
今は、”わたしがいなければ!””わたしが家族を笑顔に、幸せにしなければ!”
の謎の正義感、義務感はまったくなって
ほんとに肩の力を抜いて、リラックスして
ただただ家族といるその空間を自然体で楽しめるようになりました
自分の為にお母さんをかわいそうな存在にしていて
ほんとうにごめんなさいね~~
これに気づくのにめちゃくちゃ時間かかったよ~~~
少し時間がかかってしまったけど、
今こうやって家族と過ごせる時間があることに
何よりも感謝です