ブログを更新する時間がなかったわけではないが

前回から今日まで、色んなことがありすぎて、

書こうかと思い、また消して。の繰り返しだった。

 

新型コロナ感染対策の中、児童精神科で仕事を

している私自身、体調が崩れることもなく元気に

毎日、二重マスクとフェイスシールド。で

仕事をこなしている。手洗いは動くたびにと

言っても過言ではない。石鹸・アルコール。の

繰り返しだ。

 

今日はこの数ヶ月で気になったことを少々。

 

人は当たり前と思って行動していることが

何らかの理由でその通りにいかないとき

ストレスが溜まるようにできている。

そのストレスの大きさには個人差が生じるが

何より、当たり前とも思えない未知の存在

(ここでは新型コロナウィルス)が

自分の中に存在しているのでは?と言う不安が

『無症状』と言う言葉でさらに倍増する。

 

新型・すぐに悪化する・ワクチンがない・

〇〇さんもコロナで亡くなった・

東京大阪で感染者数が200をこえた・・

0人だった岩手でもコロナにかかった・・・・などの

「言葉」でどんどん恐怖感が増していく。

 

歴史の時間に大なり小なり学んだことを

思い出してみる。高校時代の教師が

歴史を学ぶのは、今を生きている自分も

その歴史上に存在すると言うことだと

言っていた。今を生きる私たちに突きつけられている

「命題」は何だろうか。

 

テレビ世代の自分が言うのも何だが

テレビを流しているだけで変な不安を

誘われる気がしている。

若い世代が真偽もどうかと言うSNSに走る理由も

何となくわかるような気がしている。

最近は今まで以上にYou tubeでお笑いを

観ている。

 

専門家の言うことも頭に入れて

国のリーダー?と称する人たちの動きを

客観的に捉えながら、コロナと共存する新しい生活様式とやらを

受け入れている。今はそれで正しい情報と根拠のないデマの

区別する必要があると感じている。

 

怖い怖いと言いながら、今を嘆くか。

怖いのを熟知しながら、今を生きるか。

それに尽きると思っている。

 

今目の前にあることを真面目に突き進めていくしかないな。

毎日同じことをコツコツと。