本日50歳になりました。

今年もこの日を無事に迎えられたこと、妻、息子、そして、両親や家族、友人、同僚はじめ多くの方たちに感謝です。

さて、50歳。50年、半世紀。

僕が生まれてからだいぶ時間が経ちました。織田信長の時代で言えば人生50年と言われていた、そのときを迎えたわけです。

まあ、もうあれから400年以上経っているので意味は違います。あと、自分目線で考えると、50年経ったといっても、実際問題、5歳ぐらいまでの記憶はもうほとんどないですしw(写真でうっすらあるぐらい)、それ以外でも覚えていること、いないことがたくさんあります。

 

とは言え、やっぱり30歳以降の記憶と記録はたくさん残っているなぁと、50歳になって改めて思いました。


それはもちろん、2004年以降のWeb 2.0的なさまざまなサービス、中でも自発的にソーシャルネットを構築できるようになったことが一番の要因で、mixiほかさまざまなサービスに記録が残っているので、すぐに思い出せなかったり、まったく覚えていなくても、「記録」から「記憶」を思い出すことができる時代を過ごせるようになりました。

何を言いたいかというと、ソーシャルネット登場前では、記録としては卒業文集や寄せ書き、写真ぐらい(日記なんてほとんど書いていなくて、あるとしても、海外旅行で記録していたメモレベル)で、あとは仲間たちとの昔話、思い出話が自分の歴史のすべてで、それは、その時々で微妙に変わったり、また、忘れさられていくものでした。

一方、30歳以降は、ソーシャルネット上にテキストや写真がたくさん残っています。僕自身、ソーシャルネットに参加して1年ぐらい経って、また、仕事でソーシャルネットを含めた各種SNSと接したり、自分のソーシャルグラフの心地良さを実感し始めてから、「この先もソーシャルネットでできる限り日常をポストし続けていこう」と強く自分の中で意識していたことでした。

 

いわゆるライフログを残しておくと、いつか、未来の自分の楽しみが増えるんじゃないかと思っていたからで、そんな心持ちで20年も続けていると、たわいもないことから、なかなか楽しめる(ときに恥ずかしいw)記録がたくさん残るようになりました。

 

これは本当に大きな出来事ですね。笠原さん、ばたらさん、ありがとう!(とここで改めて御礼を :-))

たとえば、30歳のときのmixi日記(アメブロ用に「みんなの日記」設定に変えました)。

 


そして、40歳のとき。アメブロでは39歳から記録を残しているので、こちらに。

 

 

この2つを振り返ってみると、30のときは本当に記録のみ、でしたが、40歳のときはしっかりいろいろ書いてますね。ちなみにmixi日記の33歳(2008年)ぐらいから、その歳の抱負(テーマ)的なものを書き始めて記録しています。やっぱりどんなことでも、その時々の自分の気持ちや思いを書いて、また、写真に撮っておくのは、自分にとっては大切だと改めて実感しています。ライフログはこれからも継続して残していこう。


……いや、それでまとめて終わってはダメだw

さて、前置きが長くなりましたが、50歳。

人間、生物学的な意味で言えばもう完全に折り返しには入っているわけで、30歳のときや40歳のときの節目の感覚とはだいぶ違っていて。いわゆる健康の話題は日常的に気になるのですが、それは引き続き気にしつつも、日常の生活をしっかり過ごせるか、それを意識的にも無意識にもできるかどうか、昨年、49歳は「日々を大切に」という気持ちから、「日進月歩」をテーマに選んで過ごしてきました。

何か前に進んだかどうか、それはまた5年後、10年後の自分が判断するとして、この1年は、コロナ禍が明け、再びいろいろなものを始動できた、再始動の1年だったと思います。

たとえば、2月にはコロナ禍以降初となるリアルイベントMC(+関東圏より西にも5年ぶり)を広島のYAPC::Hiroshimaで担当させてもらいました。

 


その他、日常的な会合(飲み会)も少しずつ増えてきたり、また、10月にはこれまたコロナ禍後初となる飛行機搭乗、そして、海外へ。
 


他にも社員旅行で京都に言ったり、3月と9月にTechLIONを実施したり、12月にもイベントMCをやったりと、とにかく、オンラインから再びリアルな活動を増やし始めた1年、そして、49歳でした。

 

あとはやっぱり息子の成長。これは日進月歩どころか、秒進分歩、とにかくあっという間にどんどん成長していきます。それとともに自分や妻の経験や価値観に大きなインパクトを与えてくれていて、それもまた自分にとってはとても大事な進歩。ときに、前に進まずに立ち止まるときもあるわけですが、それだって大きな流れの中では進化・変化だと思っています(いわゆる動的平衡)。

こうしたことの具体的な出来事はFacebookにはちょこちょこ限定公開していたのですが、オープンな場での記録はほとんどなくて、そうした情報の出し方の変化は、周囲の中に身を置いている自分の立ち位置の変化でもあるかなぁとは思います。


そんなこんなで、49歳は「止まっていたものを再始動させられた。しかも、コロナ禍で得たオンラインの経験、そして、今の生成AIも交えて」という意味では、日進月歩できた(している)と思います。

そんな振り返りをしつつ、いよいよ50歳、人生後半戦を迎えるにあたってのテーマを考えたところ、今回はあまり悩まずに、すぐにパッと思いついたのが、9年前に読んだこの本のタイトルにも含まれている「たたむ」です。

 

 

 


この『都市をたたむ 人口減少時代をデザインする都市計画』という本自体は日本の少子高齢化と都市をテーマに書かれていて、とくに、そのメインテーマを取り上げたいわけではなく。

ただ、この本の内容に付随することと自分を重ね合わせたとき、自分はまだ社会保障政策上では前期中年者のゾーン(40~54歳)ですが、5年もすれば、後期中年者(55~69歳)、さらには、雇用政策で言うところの高年齢者(55歳以上)もすぐそこと、いわゆる高齢者ゾーンに近づいていると強く感じます。また、50歳という数字は、それを痛感させられる数字だなぁと。

そういう状況で、この本に書かれている「たたむ」という表現が、すぐに思い出されて、今年1年、そして、この先はこの「たたむ」を意識しようと思って書きました。

ちなみに、同書で使っている「たたむ」という表現は、ポジティブな意味で捉えていて、英語で言うところのshut down(店をたたむ、窓を閉めるなどで使われる)ではなくて、fold up(風呂敷や紙をたたむ、片付ける)という意味で使っています。

 

この本で言うところの、fold up的な「たたむ」の良いところは、片付ける・整理するという意味(会社の倒産・破産といった超ネガティブな意味もありますが苦笑)がありながらも、整理した結果の場所や時間、さまざまな概念が広がること(あるいは余白ができること)、そして、何度たたんでも再び広げることで再開できるといったような継続性(時間軸として未来に動く)を含む言葉として、僕にとってとてもポジティブな意味で捉えることができ、まさに50歳の自分、50代の自分で意識したいと思ってこの言葉を選びました(かなり意訳的ではありますが、そのニュアンスについては前述の書籍にも書いてあります)。

ので、僕も50歳(50代)は、この後者の「fold up」という意味での「たたむ」をテーマに、意識して日々を過ごしていきたいです。

ですから、これまでの49年の自分の歴史について、1つの区切りでいったんたたむ意識を持ちつつ、振り返りながら継続するところはそのままに、また、一度たたんでしまったことでも、また思い返して必要になったら広げられるような心持ちで行動していきたいです。

 

もちろん、それだけだと、今ある領域(自分の能力)が最大値・限界値になってしまうので、今の気持ちとしてはそうはしたくなくて(まだ限界を決めたくないw)、気が早いですが来年以降の何処かのテーマで考えている、パッチワーク的なアプローチも意識して取り込もうとは思っています。

毎度毎度、誕生日のこのブログは内省が多く、抽象度高めですが、年に1回ということでw

 

現実問題としては、まずは日常の限られた時間に対して、時間の使い方をたたむ、人間関係をたたむ、なども大事かなと(あくまでポジティブな意味での「たたむ」です。念のためw)。そして3次元で「たたむ」を考えることで、縦軸の高さ・深さみたいなところを意識していきたいですね。

それと、今、このブログを書いていて、たとえば、YAPC::Hiroshimaのことは書いていたけど、台湾旅行のことやTechLIONのことなど、自分目線での記録がオープン・クローズド限らずにしっかりと残せていないことにも気づいたので(これはたぶん無意識にブログを書く時間をたたんでいた苦笑)、今年は、その部分は再び広げる意識も持とうと思っています。

さらに、ソーシャルネットと言えば、2年ぐらい前から積極的に使っているBluesky、そして昨年末に僕が大好きなサービスmixiの新バージョン、mixi2が出て今、がんがん使っていますし、これからまた令和の時代のソーシャルネットで50代の自分のライフログを記録しつつ、将来の楽しみを増やしていきたいです。

 

一応、それぞれのアカウント書いておきますw(mixi2はiPhoneまたはAndroidアプリからどうぞ)。

 

 

 

こうやっていろいろ書き続けていて、今はまだ2歳ちょっとでブログなんてわからない息子が、もしかしたら将来、目にしたときにどう思われるのか、そんなこともちょっとドキドキしながら想像しつつ、2025年、50歳の自分の誕生日エントリを締めくくります。

とりとめもないまとめにはなりましたが、50歳の自分、50代の自分、そして、家族をこれからもよろしくお願いいたします。

p.s.
最初、昭和50年生まれの自分が50歳になったので、50歳のテーマは大谷翔平選手にあやかって「50-50」にでもしようかと思ったんですが、さすがにソレはないだろと、自分でツッコミ、控えましたw

 

p.p.s.

今回の記事のイメージも生成AIに作ってもらいました。今年はChatGPTで。

 

お題は「ソーシャルネットワークをイメージした「50」という数字のデザインを描いてください。」。