あれから4年経ちました。

昨年4月には三陸鉄道が全線開通し,今年3月には常磐自動車道が全線開通するなど,インフラ面では徐々に戻っている部分があるかと思います。それでも,まだ約8万人の方が仮設住宅で生活するなど,まだまだ戻っていない部分が多々あると聞きます。

それでも。

日が経つにつれどうしても記憶は薄れてしまうもの。

一方で,日が経つにつれ,“3.11”だけを特別視してしまうもの。

だからこそ,この日だけは意識して思い出していきたいと思っています。

まず,昨年の3.11から365日が経って,僕自身,何を考えて何を行動したかと言うのを振り返ってみると,わかりやすい行動としては,

5月の東北六魂祭@山形
11月の震災以来2回目の被災地訪問

あとは関連書籍を読んだり,テレビ番組を観たり。東北つながりでは青森にも行きました

その中で,つい最近,2011年3月11日直後の4月9日に,一緒に「#webyafor311 ウェブ屋・ウェブ担 for 被災者支援 チャリティーパーティー」を企画し実行した,中野さん,和田さん,そして,ふうりさんの4人で,三陸の食材を楽しめる店で話したこと。

これがすごく印象に残っています。

この日はあえて「それぞれが考える3.11」をテーマに,三陸の恵みをいただきながら,気持ちを口に出して会話をすることにしました。中野さんご自身はあの日以来,毎週末南相馬にボランティアに行くなど,ご自身の信念とともにすごい行動力を見せていて,また,そのつてで東北につながるお店を紹介してくれるなど,僕にとっては東日本大震災について,そして,3.11という言葉について,とても大きな影響を与えてくれている人です。

和田さん,ふうりさんはWebSig24/7つながりで,イベントをしたり会議をしたり呑んだり,いろいろ話す中で,日々生活するということについて影響を与えてくれていて。

そういうメンバーで,この日,それぞれが3.11について,主体的・能動的に話せたというのがすごく大きかったと思いました。

東京に住んでいたり,直接的・間接的問わず何もできていないと考えてしまうと,3.11はどこかで他人事になったり変な引け目を感じてしまうことがあります。裏を返すと過剰に考えてしまいがちです。

そういう気持ちを,素直に話せたことが僕自身良かったと思い,また,自分の行動・生活について見直すターニングポイントにもなりました。

冒頭にも書いたとおり,日が経つにつれてあの日の記憶が薄れていってしまいます。だからこそ,あのときの3.11という日を思い出し,その後の変化,時間の経過について,自分としてどう考えているのかを意識しよう,改めてそんな気持ちになりました。

そして,自分なりにできることを行動して暮らしていこう。


それから,もう1つ。

昨年11月に震災以来2回目の被災地(仙台・蒲生・荒浜・閖上)に行き,語り部タクシーに乗って,この目で観てきました。

3年半経った被災地は,何事もなかったように動いていた仙台駅もあれば,前回訪れたときとほとんど変わっていない,津波に流され外観だけ残った半壊した家屋,全壊して土台だけが残った家屋などがそのままになっている閖上や荒浜近くの被災地,あのときの時間のママ止まっていた旧閖上中学校の時計など,その後の,宮城県仙台市の姿がありました。

旧閖上中学校

そのとき,実際に被災された語り部タクシーの運転手さんからもらったメッセージをまた書きます。

「当時の出来事自体は,それを体験した人にしかわからないことのほうが大きいので,そういうこと(東日本大震災)があったというのだけは忘れないでほしいですね。忘れないでもらえることが大事だと思っています。

あと,経験した身として,一番,伝えたいことは,今後,必ずや起こるであろう大地震に対して,とにかくできる限り対策をしておくこと。食料だったり電源だったり連絡手段だったり。何より心構えを。今なら震災に関してたくさんの情報がありますから,自分で調べて,考えてみてください。

そして,まず,自分の命を守ってほしい。そして,余裕があるのであれば周りの人の命も守ってあげてください」


今までの思いに加えてこの気持ちを忘れないように。


今年もまた東北の地に足を運び,そして,来年の今日,またきちんとブログを書こう。