今日は、久が原にある「昭和のくらし博物館」に行ってきました。

昭和のくらし博物館
http://www.showanokurashi.com/

ここを知ったのは、関東近郊の民間鉄道共同企画、「おいしい歴史さんぽ」のカタログから。

自宅からもけっこう近いので行ってみました。

東急池上線の久が原駅を降り、徒歩5分ほど。

案内板

最初、路地に気づかずちょっと迷い到着。そういえば、最近小さい路地ってあまり気にしなくなったなぁ。

暖簾

到着。引き戸からして昭和っぽい。

引き戸

ここは、もともとあった庶民住宅をそのまま使い、中の家財道具を保存し展示することで、昭和のくらしを残し、伝えていくことを目的とした博物館です。現在は、国の登録有形文化財に指定されています。

外観

窓

水道

設立背景などは公式サイトのものを。
昭和のくらし博物館は、昭和26年建築の東京郊外にある庶民住宅を、中の家財道具ごと保存し、丸ごと公開している博物館です。この家の長女であり、生活史の研究者である小泉和子が個人で運営しています。長年モノと人間の関わりを研究してきた立場から、「いつの時代も、最も残りにくくかつ軽んじられるのは、一番身近なはずの庶民のくらしである」と痛感していたため、この建物を単なる建築の保存・活用と資料収集の場とせず、現在の私たちのくらしを見直す場に、多くの人が関わる文化財活用の新しい試みの場に、また昭和の空間や人のつながりを感じる都市の中の憩いの場にという思いと信念を持って1999年に設立しました。

館内は撮影禁止のため、写真はないのですが、観ていて印象的だったところをいくつか。

まずは、入口の引き戸。うちの実家は引っ越す前はアパートだったので屋内以外に引き戸はなかったけど、そういえば、近所の家には引き戸のところがけっこうあったなーと昔を思い出し。

それ以外にも、たとえば、揚げ板も懐かしかった。知らない方のために説明すると(笑)、床板を取り外せるようにして、床下を物入れにするというもの。これも、近所の幼馴染の家で観たなー。

他、自分が知らない昭和で、今日知って面白かったのは、たとえば回覧板は昭和15年9月に誕生したこと(内務省訓令による隣組から)や、クレジットカードの開始は昭和35年12月だったりと、思わずへぇーと思うことがいろいろあったこと。

その他、とくに印象的だったのがちゃぶ台。正直、丸いちゃぶ台を使った記憶はないものの、実家には四角型のちゃぶ台はあったり、おじいちゃんの家には丸いちゃぶ台、そう、『巨人の星』で何度もひっくり返されるやつがありました。

そういったものを一つ一つ観るたびに、どことなく懐かしく、でも、一部は聞伝えでしか知らなかった道具や雰囲気が再現されていて、知的好奇心が満たされる空間でした。

カタログ

■昭和のスピード、平成のスピード
さてさて。館内の様子については、ぜひ足を運んで観て感じてもらいたいのですが、今回、「昭和のくらし」をテーマにした場所に行って、改めて自分の昭和を思い出してみました。

まずは僕が生まれた昭和50年。そもそも昭和は64年(実質63年)しか無いわけで、僕が生きた昭和っていうのは終わりの13年、約20%なわけです。しかも、意識があるとすれば幼稚園、小学生ぐらいからのものなので数年なわけで。

それでも、たとえば、ファミコン(昭和58年)やCD(昭和57年)、ウォークマン(昭和54年)などなど、自分にとって振り返ると身近にあったものが生まれた時期を過ごしている、しかもそれをど真ん中で経験しているというのはなかなか印象的なことです。

明治以降の近代(といっても4つの元号しかないですが)では、唯一50年、半世紀以上同じ元号だった昭和っていうのは、年が経てば経つほど、いろいろな物事の源泉となるモノ・コト・ヒトが登場・誕生した時代なんだなと思うと、いろいろと知りたい欲求が強くなり興味が湧いてきました。

一方で、ふと、自分の意識がはっきりとし、たくさんの経験を積んでいる平成を振り返ってみると、昭和の63(64)年と比較してみると、昭和時代よりも物事の移り変わりのスピードが早く感じています。とくに、21世紀に入ってから。

あくまで僕自身の体感値なので、共通概念ではないと思いますが、僕が昭和より平成のほうが時間感覚を早く感じる一つの要因、とくに大きな要因はインターネットの登場じゃないかなーと思います。

先ほど紹介した、昭和のときのファミコンやCD、ウォークマンを通じた音楽、それから今の趣味嗜好の基礎となったエンターテイメントというのは、しっかりと記憶と身体に根付いていて、いまだに楽しむ自分がいます。おそらくそれ以外の選択肢が無かった(≒見えなかった・知ることができなかった)からで、言い換えれば、自分の時間の中に占める割合が大きく、見方を変えると(ずっと)変化しない≒変化のスピードが遅いと思います。

その後、平成に入り、自分が歳を取るとともに技術変化が進み、僕自身パソコンを使い、インターネットを使い、そして今,スマホを通じて手のひらにパソコンとインターネットがある感覚は、昭和ではありえなかった選択肢の増加(≒意識しなくても見えてしまう・知れてしまう)が起きていて、それがもとで一つ一つに対する意識が発散するようになり、結果として、そのモノ・コトが自分に対して占める割合が減り、変化のスピードが早くなっているように感じています。

ただ、インターネットの登場は、人と人とのつながりを増やし、濃くしている要因にもなっていて、人のつながりに関しては、昭和のときに感じていたスピード感とはまったく違う感覚、なんていうか密度が濃くなったように思います。これは、インターネットが持つ、時間・距離の制約を無くす特徴によるものかな、と。そのあたりは「時代の変遷とオンラインコミュニケーションとインターフェース」でも書いたとおり。

そして、それこそ前回の日記「似顔絵」で書いたように、昭和時代ではありえない形での素敵な体験・経験を積める時代になっているんだなと改めて感じた次第。

昭和のくらし

といいつつ、個人的にはレトロな部分も好きだったりするので、今日みたいに、昔を懐かしむ時間を意識的に作って、昔と今の自分の感覚を、少し引いて見るのもおもしろいなと思いました :-)

とくに、ちゃぶ台を見て感じた「一つの机をみんなで囲む」という世界観、それと、縁側から感じたつながり感、その先の向こう三軒両隣的な雰囲気っていうのは、今のインターネット時代の良さをふまえて作っていけたらいいですね。

最近始めた、「鍋、つつこ。」にはそのあたりの思いも無意識のうちに込めている気がします。

新装版 昭和のくらし博物館 (らんぷの本)/河出書房新社