日能研の無料テスト(算数)を娘にやるよう4回も促したのに、なかなかやろうとせず、とうとう一昨日、提出最終日になってしまった(郵送はもう間に合わないし、アプリは18時まで)
娘がようやく答案を仕上げたものの、「おうちでDI」というアプリを使って答案の画像を送ろうとしたが、(私が職場からラインでアドバイスしながら)スマホでやっても、ドラゴンタッチでやっても、私のiPadでやっても「画像の大きさが違う」と何度もエラーになってしまい、期限の18時はもう間に合いそうにない。日能研に電話で聞いたら、期日は過ぎたけど答案を送付してくれれば採点してくれるとのこと。
せっかくの答案が無駄にならずに済んでよかったとはいえ、あのクソアプリのせいで2時間近く無駄にした妻の腹の虫が収まらず、話の流れで私と娘の2人で武者小路実篤記念館に行くことになった
というのは、武者小路実篤記念館で開催中の「画家・河野通勢の表現」が新聞で紹介されていたので以前、娘を誘ってみたが乗り気でなかったのだが、今回、日能研の件で妻と気まずいことになっていたので二つ返事で?ついてくることになったのだ
娘は絵を描くのが大好きなので、美術館に連れて行っていろいろ見せてあげたいと思っていたところだったので(半ば強引ではあるが)丁度良かった
娘にはちょっと渋すぎる展示だったが、それなりに楽しんでくれた様子
展示は思っていたより少なくて肩透かしだったが、記念館よりも実篤邸と実篤公園の方が面白かった。
まず、記念館の敷地内からこんなトンネルを通り抜けて公園に行くのだが
どうやらヒカリモというのが見れるらしいので辺りを探すと
そうこうして公園を上がっていくと(傾斜のある公園なのだ)実篤邸が見える。
どこが入り口かわからず建物の外を一周してしまったが、どうやらここらしい
戸が閉まっているが、試しに開けてみると開いたので入る
土間で靴を脱ごうとしていると奥の部屋から係の女性が来て「びっくりしたー!開くの11時からなんですよ」と言うので時計を見ると10時55分だった。「でももう時間だから見ていってください」ということで、ご好意に甘える。館内は撮影不可なので写真はないです。
ちなみに邸宅が見られる日は限られており、今日はたまたま開いている日だった。
今日は仕事部屋や応接間しか見れなかったが、ガイドさんがいる日なら奥にある台所やトイレ、テラスのある部屋なども見れるらしい。
窓が大きいので(冬は寒いだろうなあ)庭園の木々の眺めがとても良く、一日中ボーッと眺めていられそうだった
ちなみに武者小路実篤の作品は「友情」しか読んだことがないのだが、少し興味を覚えたので帰宅後すぐ図書館で関連する本を借りてきた。
どうやら実篤さんって、相当の引越し魔だったようで、年譜を元にまとめたらこんな感じだった。
1885年、東京府麹町区元園町1-38(現、千代田区一番町19-4)に生まれる。
1914年春、下ニ番町に家を持つ
1915年1月、鵠沼に転居
1915年9月、千駄ヶ谷に転居
1916年夏、小石川小日向台町に転居
1916年暮、千葉県我孫子町字根戸に転居
1923年9月、上京
1925年12月、奈良市水門町52に転居
1926年12月、和歌山に転居
1927年2月、東京府下南葛飾郡小岩村小岩に転居
1927年11月、牛込八幡わきに転居
1928年1月、麹町下二番町40に転居
1929年4月、市外下落合1731に転居
1929年11月、市外祖師ヶ谷441に転居
1931年夏、市外砧村に転居
1934年3月、市外吉祥寺鶴山小路885に転居
1935年1月、吉祥寺日向小路645に転居
1936年4月〜12月渡欧
1937年6月、三鷹村牟礼359に転居
1940年9月、三鷹村牟礼490に家を買う
1945年5月、秋田稲住温泉疎開
1945年8月、帰京
1954年10月、仙川に土地を買う
1955年12月、仙川に転居
1976年4月9日没
90歳の生涯で20年と一番長く住んだのが、この仙川の家だったんですね。
若い頃は引っ越すことで作品の創作意欲が湧いたのでしょうか。
実篤邸を後にして近所にある、ジャリーヴというケーキ屋さんに行く。お目当てはシュークリーム
おしゃれなケーキ屋さん兼喫茶店という感じ
シュークリームは3つで690円ぐらい