茨木のり子 「私が1番きれいだったとき〜凛として生きるための言葉〜」毎日コミュニケーションズ出版 2010年












当たり前だった生活がめまぐるしく変わっていったこの2年間、特に去年は、人々の不平不満に晒される毎日で、本当に、本当に、息が苦しかった。職場デスクのすぐ横に置いてある、延々と流されるラジオの隣で何度、涙をこらえたことかわからない。それでも世界は進んでいくし、私はこれからも生きていかなきゃならない。みんなも私も、楽しくありたかった。これ以上ネガティブを伝染させたくなかった。代わりにポジティブや楽しい感情を伝染させて、みんなで共有したかった。辛いことや大変なこと、私だってもちろんあった。けれど、ひとりひとり抱えているものの大きさや種類は違えど、あの頃は、誰もが生きづらさや不満を抱えていて、少なからずどこか暗い気持ちが蔓延っていた。みんなが息苦しさを感じている、そんな中で、自分だけ「つらい」なんてこぼして、誰かに寄りかかっちゃ駄目だなんて気持ちでいた。いつもだったら頼り頼られの関係でいられるはずだけれど、みんながいっぱいいっぱいの時。満杯になった心のコップとコップがぶつかったら、割れてしまう。割れたコップは元には戻らない。拾い集めようとしても怪我してしまうから。そうならないように、そうならないように。大切にしたかった。だから、自分の感受性は自分で守ろうって、ある時わたしは人知れず決めた。楽しいことが大好きだから。みんなの楽しい気持ちはめぐりめぐって私を幸せにしてくれるから。楽しいことを伝染させていこう。そうやってみんなで乗り越えよう。楽しいことを分かち合って共有していこう!自分を幸せにするための水やりは怠らない。何もかもすべて許して自由になろう。決して人には押し付けがましくならないように、自分を納得させる為の思考に集中して、元気な心を目指すことをやめないでいよう。ないものを数えるのはやめて、今あるものを数えて感謝の気持ちを忘れないでいよう。怒っていても出口はないから、誰かや何かのせいにするのはやめよう。楽しむことをあきらめないでいよう。半ば無理やり前を向くことから始めたことだったけれど、この取り組みは、結構それなりに功を奏した。おかげで私はいつでも楽しかった。幸せと思う心を失わずに済んだ。自分の感受性を守ることができたと思う。私はいつも一生懸命だった。自分の心づくりを怠らなかった結果が今の私を形づくっているのだと思える。周りの人には恵まれている。そんな自分が好きだと思った。自分の足で自分の人生を歩み、自分を幸せにしてあげられる自分のことを好きになれた期間だった。私は本当にこの期間、とってもとっても、楽しかった!でも、自分を殺したいくつもの瞬間のツケは高くついた。一方心のどこかで、そうやって自分を鼓舞させてただけなのかもしれないとも思う。今思えば、割れてしまいそうだったのは私だった。ひび割れそうな心で一生懸命立っていた。わたし、つらい時に、つらいって言いたかったな。私は、強がって笑ってるだけの弱虫かもしれない。強くありたかった、けれど強さってなんだろう。弱さを知って優しさを知るって本当?何が嘘か本当かわからなくなってくる。私はいまいち自分を大切にできなかったのかもしれない。自分で自分を殺してた。確かにそんな瞬間は山ほどある。呼吸をするように嘘をつく。でもそれが嘘だとも思えない。ぜんぶ本当だって頭では思うんだけど、難しい。本当の私はどこにいるんだろう。心の理屈はいつでも難解。今も日々葛藤してる。

楽しい方へ、楽しい方へ。

これは自分が自分にかけた呪い。これが「のろい」じゃなくて「おまじない」って思える時が来るのは、あともうちょっと先だと思うけど、これからもちゃんと自分の足で歩んでいこうと思う。わたしはそれでも、楽しむことをあきらめない。だって私の人生だからね。

いつも一緒に楽しんでくれるオタクたち、本当にありがとう。みんなで楽しいことを楽しいと言い合っているとき、心の底から楽しいって気持ちが溢れ出して、生きてるって感じがします。人はひとりては生きられないって実感します。私と接してくれる人の、色んな人の色んなかたちの優しさ、ちゃんと感じています。優しさをいつもありがとう。これからも楽しんでいこうね!