11月に入った



相変わらず1年が短い


短いのは時間が足りてないからだな



10月中、異常に行きまくったライブ・観劇・イベントその他…



まあ、このブログに書く前段階までは自分のメモ用としてまとめてるものができてはいる



まだ公演中の作品もある



コレはネタバレとなるから、とりえあずまだ上げない




終わってる作品もある



かなり重厚なもので、ライブログももうえらい騒ぎになるほどに長い



ジーーーっと考えて、書いたものだから、相当長い



そんなん、上げても誰も読まないよー




という躊躇がひとつ


あと、もうひとつ


自分の見解で感想を述べてしまっていいものなのかどうか…



それを強く考える



できあがってるライブログを上げるのをためらう



コレって珍しいかもしれんな





俺は国語の授業が嫌いだった



別に理数系というわけじゃないけど



がっつり文系だと思うけど



本を読むのが大好きだったくせに



国語が嫌いだった理由



文部省による思想コントロール


わかりにくいなー



つまりね、



問:このときの主人公の気持ちを答えなさい



こんなテスト問題、あったでしょ?



これに答えがあるということがむかついたのだ



回答を一つにしてしまっていいのか?




主人公の気持ちや感情は、読み手によって変わるはず



俺はそう思ってる



読み手の「今」でも違うと思う




精神状態


生活環境




そして、経験

日々変わっていく自分に、感情を重ねて、移入して読んでく



だから感想が異なる


見解が異なる




それを「ハイ、答えー」って採点していいものだろうか?



お前、主人公の何がわかんだよ!



教師とよく喧嘩しましたがな




こんな問題があった



問:次の言葉を使って、文章を作れ 【どうせ~なら】



小学生の俺の素敵な回答



答:「どうせ盗んでくるなら、もっと高い物を盗んでくればいいのに」



採点、×



使い方、間違ってますかね?



少なくとも使い方は、あってるはずだ



教師の赤ペン回答



正解「どうせ盗んで来るなら、せめて安いモノにしてくればいいのに」




はぁぁぁぁ???


もちろん、教師に文句を言いにいきましたとさ




道徳的には間違ってると言ってもいいだろうけど、文章として意味は通じる



そもそも、この文章を作った俺の心理は


盗みが犯罪と言う事はわかっている



しかし勇気を出して犯罪を犯すなら、よりでかいことをすべきだ



というものだ



安いモノ盗んできてどうするんだ




…めんどくさい生徒だな、教師からしたら



すんませんなー、今考えると頭下げないとならんことばっかしてたな



悪気があったわけじゃないんだよ?



ただただ大人げなかっただけだな





ああ、話が脱線した



それぞれの見解があっていいはずのモノ


答えがない創造というモノ




ピカソのゲルニカの意味が分からない



でも褒める人がいる



これはどっちかが間違いなのか?



両方正解でいいだろ?




舞台も賛否両論


全員大絶賛の舞台なんて、あるわけないじゃない



それもわかってる



だからこのブログに、ライブログを書いてる



それは俺の見解というか、俺独自の感想だから許してねという思いで書いてる



割り切って書いてるって言ってもいい



でも、そういう思いで観てきた演劇の中で



その感想を言葉にして残すのをためらうモノがあった



それだけのことだ




日々感想が変わる


書いてあるライブログを読む度に、



ちがう



って思う



書き直す



思い出して、別の感想を書く



全く違う



面白くなって、日記のように毎日感想を書いてみた



4日分…




全部違う感想文ができた




そのくらいめずらしい作品に出会った




面白いからもう少し、感想日記を続けてみようかな~




もちろん、素敵な作品でしたということを付け加えておきます



こんな作品に出会えたこと、感謝です