今月の御書拝読
三三祈雨事
夫れ、木をうえ候には、大風ふきそうらえどもつよきすをかいぬれば倒れぬ、もとより生いて候木なれども、根の弱きは倒れぬ、甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず、すこしけなげな者も、独りなれば悪しき道には倒れぬ。
通解
そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れない。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまう。
弱くふがいない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し頑健な者でも、独りであれば悪道に倒れてしまう。
創価学会HPより抜擢
当方の経験上で語らせていただければ幸いです。
2017年~2022年の出来事で、この時はまだ日蓮正宗の寺に出入りしていた時期です。
もうすでに、自分自身の心情的には寺の坊主の貧弱化はかなり進んでおり、これでは邪宗のほうが勝たれているのえはないか?と思い始めていた。現に、寺に近くに少し大きな天理教の教会があるのですが一定時間になると天理教の服を着た青年が見回りにやってきました。それも大きな声で天理教の経を説きながら歩いているのですが日蓮正宗の寺の前でも彼らは平気で経を唱えながら歩いています。それを寺の人にいうと何も危害を受けていないから相手にしてはいけないよって返事が返ってくる。
脱落坊主というよりも創価学会が守ってきた日蓮正宗も今や法華講員という少数人でしか守れないわけなので弱体化してて当然でした。
寺を守るために折伏をするのか?自分の仏性を磨くために信仰をするのか?どうでもいい話なんだと思いました。
ただ坊主の主権を守るために活動を強いられるというのが疑問を感じます。しかも日顕自体がやらかした行為で創価学会との関係を破壊し多くの信徒を破門処分にして信徒を減らした上に御供養費や供養の元である信徒を増やせと言われているようににも思える。
そんな寺おきた不運・・・・
大阪の日蓮正宗法住寺は昭和48年に大阪市東住吉区今川に建立された日蓮正宗の寺院。初代住職は名刹と有名な下条妙蓮寺出身の漆畑尊師で平成になり創価学会との関係が日顕によって崩れて以来、初代住職から今の生臭坊近山に交代した寺です。
この近山もかつては石川県金沢市にある日蓮正宗妙喜寺の住職だった。妙喜寺といえば金沢法難で有名な寺です。
150年続いた法難・・・
昭和60年ごろには正信会という悪僧集団によって荒らされた経緯もある。
その法住寺の近山が法住寺の階段から足を滑らせて転んでしまいました。翌朝の勤行会は松葉杖をついて参上。さらに2カ月、3ヶ月後も階段から足を踏み外し転倒し腕にギブスを巻く始末。さらにさらに、三度の巧妙、いつもなら坊主用の座椅子に座って唱題を行うのですが正座をしての唱題に取り組んだようで、唱題を済ませて立ち上がろうとして足首に激痛が走り転んでしまったという。あまりの痛さに救急車を呼んだそうですが、この救急車の要請での一幕があったようだ。
自分本位な坊主、119番通報から救急車が込み合っていて少し時間を要するという返事を聞いて、あれよこれよと検索させ#7119をダイヤルすると通常の救急車の要請ではなく緊急を要する要請につながるそうだ。そこへ連絡して救急車を要請したというのだ。
病院では足のアキレス腱が切れていると診断され3カ月間の入院となった。
さらに法住寺の隣の日蓮正宗栄正寺でも、ここの生臭坊主が2022年の8月というお盆の最盛期にコロナに感染し10日ほど寺を閉門した。とにかく宗門の弱体化はみるみるうちに拡大し、今じゃ邪宗からもアゴで使われてもおかしくない状況。
こんな寺に健康を求めるのは間違っていると今思えば痛感する。
創価学会の今月の御書を拝読すると根の浅い木は大風がふけば倒れる。
これを指導者に例えると末寺の寺の坊主は、その寺の柱です。それが世間の風説で倒れてしまうのは、まさにこの御文のとおりだと思う。
どんより暗い雰囲気の小生↓
立て続けに事故が相次で発生し心の中では「もう終わったな」
という感が強く現れている。初めから創価学会を応援してきた
だけに半分は嬉しい気分なのですが、自分が自分で確かめないと
分からぬ性格なので、つい禁断の地にやってきたかという印象を
もった。
法住寺の坊主、その後は本尊の御色直しに出したりして誤魔化すつもりなのだろうか?
昭和48年建立以来、外される事が無かったお寺の日達常住板本尊が無残に外されて
色直しになった。
その日達の本尊は数カ月を得て色直しに戻ってきたが、その間は日如の紙幅の本尊が
掲げられていたが日達の常住が戻ってきた時は、さすがにキンピカな本尊になっては
いるものの、舎利弗さんの意味が逆さまなのが昔よりも更に酷い状況だった。
見た目は異常はないが中身がアベコベ、これでは昔よりも酷い状態です。
日顕さまさまって本尊です。
もう駄目だよ・・・救いようがない。