宗教的虐待 | FMのブログ

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昔のカメラNikon FM

統一教会で問題視された金銭のお布施。

信者になると金を供養したがるのは洗脳だろうか?

これも日蓮正宗とよく似ている。

 

日蓮正宗も例外となくお布施を強要してくる宗教です。

被害者であった創価学会をいると統一教会なんて可愛いものです。

 

創価学会が戦後にある団体が消えて出来上がったように設立された。

昭和8年に江戸時代から続いた日蓮正宗の団体の最後の信徒1人が

亡くなった。これで日蓮正宗と対立する団体は消滅。ところか同じ

昭和8年に創価教育学科が設立。

 

詳しい話をすれば長くなるので書きませんが、創価学会が日蓮正宗

の二次団体として日蓮正宗を牽引してきたのは事実。多くの信徒を

増やして、その分、日蓮正宗に供養をしてきた。

 

創価学会が供養した金銭を総合的に合わせると膨大な数字になる。

1兆や2兆ではない。

 

正本堂だけで355億円以上。自分は500億円以上のお金が

供養されたと思う。それは創価学会と宗門(日蓮正宗)と本山の

御開扉に使う本堂が奉安殿では狭すぎるという理由もあり新たに

建立しようという計画が昭和30年代から始まっていた。昭和35年

には計画もまとまっていて創価学会の第2代会長も昭和35年に他界、

同じ歳に池田大作さんが創価学会第3代会長を歴任された。

昭和35年に正本堂の建立費として28億円の供養と利息2億数千万円

を宗門に供養する。この28億数千万円と利息ってなんだ?と思います?

 

宗門が貯めた借金です。

宗門は赤字に赤字を積み重ね28億数千万円の借金を持っていた。

それだけはない。末寺のお寺もそれそれお寺の改築費や修繕費などで

借金を抱えていた。その数は途方もない大金です。のちにその金額の

想定を書きます。

 

28億数千万円と2億数千万円の利息を慌て31億数千万円。

本山に新たしく大きな本堂を建立計画を打ち出したのは創価学会だった。

その借金の話をしてきたのは宗門側で、いくら立派な本堂を供養して

もらってもうちは借金があるからと言われると元もこも無い。

 

その借金を創価学会が供養として支払った金額が28億数千万円の元金

と利息の2億数千万円だった。

 

37年には30数億円の御供養費を創価学会が宗門に正本堂建立代として

供養した昭和38年も同じく数十億円の供養。毎年創価学会は会員から

お願いして供養をかき集めたのだった。

 

毎日やってくる婦人部の御供養集め、表情は厳しくすまなそうな表情だった。

いくらでもいいからお願いします。1千円でも500円でもいいから

お願いしますと頭を下げてきた。

 

ほぼ毎日、雨の日もやってきた。

これが毎日毎年十数年も続く。

 

昭和33年に下之坊の再興、昭和47年には下条妙蓮寺の塔中坊の建立、

これだけでも数十億円の費用。正本堂の建立に先立ち行政に対する反対

もあり富士宮市の市民センターの建立を寄進したりもした。

 

また大勢の礼拝と客のための施設の整備も必要で、その費用と土地の買収

費用も創価学会が供養してきた。

 

昭和48年に正本堂が建立され初の御開扉も終えた10月28日には

池田先生も本山大石寺で御開扉に来られたのだが、この時に事件が発生す。

池田先生の重い口が開く。時の上人猊下だった日達が棒立ちとなり

黙り込んでしまった。論破というよりは罵倒に近い質問を浴びせていたの

が池田先生です。大石寺の参道を歩く池田先生を待っていたのが日達と

その弟子たちだった。日達はおもむろに挨拶をすると13億5千万円の

供養を要求してきたのだ。

 

これが池田先生の逆鱗に触れてしまう。

人の顔をみて金金と言いやがって。。。。

 

誰だってそうなる。

 

ところで、今まで途方もないお金を供養してきた創価学会にとってすでに

計画であった正本堂も無事に建立されたのに、まだお金がいるのか?

それも13億5千万円という端数つきの数字にはさらに腹が立つ。

 

なんで13億5千万円も必要なんだ!

今まで供養してきたお金だっておかしい数字がたくさんあるじゃないか!

その計算できないお金を説明してみろ!何が猊下だ!この野郎!と

罵倒のかぎりを言い尽くした印象だった。

 

タジタジして棒立ちする日達に為す術がなかった。

日達の弟子も言い訳しようもなく棒立ちするしかない。

猊下に向かって口を慎め!という声も空しく池田先生の罵倒は続く。

周囲が静まり返る中で赤っ恥をかいた日達と僧侶たち。

13億5千万円の説明を求めての離せなかった日達。その後も質問しても

黙り込んでしまう。

 

池田先生の前に立っている坊主は猊下のふりをした10円ハゲ頭の小僧

にしか思えなくなっていた。

 

その赤っ恥をかいた日達は池田先生が御開扉を終えて東京へ帰途。

日達と弟子が忌みありげな表情を浮かべて池田先生を見送ったのである。

 

未だに不透明な13億5千万円の使い道と不透明な御供養費。

その後、宗門は創価学会の謗法を示唆する内容の文章や質問を繰り返す

ようになった。東北の研修道場の御本尊や学会本部の御本尊などどれも

模刻している云々と言い出したのだ。

 

そのどの本尊も日達が下付もしくは授与した本尊は一体もない。

無理やり謗法を犯したと揶揄しては池田先生を断罪しろ!となった。

 

腹が立っているのは本尊ではなく不透明で説明もできない13億5千万円

の御供養費の要求と今まで出してきた御供養費の使った記録である。

さらに正本堂の建立で御開扉に訪れる信徒からの御供養費もかなりあるはず

それらはすべて宗門のものになり大金を供養してきた創価学会には1円も

入ってこない。

 

謗法と叫んでいる小僧の口から酒とスルメイカの悪臭が漂っていたのは

事実。本来なら御供養があったらありがたさを知り真剣に取り組まなければ

ならないのに、金を見て狂いだしたとしか思えない日達の態度が、やがて

奴のハラワタに現れてくる。

 

腸機能不全で昭和53年に患い翌年54年に他界した。

 

その後登場した日顕もまた、金に狂った自称猊下だった。

現在の残党の落ち武者小僧が宗門を経営しているが電気代がどうのこうの

とか信徒の財布を苦しめたり、さすが落ち武者の残党のやることはせこい。

し見えないように悪さをする。

 

その陰嫉さに飽きれてしまうほど。

、また日顕といえば暴力が有名で六壺での耐えまなく所化への虐待が横行

されているのだ。扇子で頭を引っ張叩く行為は、まだマシで鼓舞しで殴り

付けたりさまざまな暴力を奮ってきた。

 

これが現在の六八世日如にも広まっていて信徒が下で僧侶は上という差別

的な体制を整えつつある。

コロナ禍を理由に関係者のみで法要を行ったりしているのが今の小僧猊下

です。