「NTV火曜9時アクションドラマの世界」(山本俊輔 佐藤洋笑)という本は綿密な取材に広範な資料を引用した愛ある本で読み物としても当時のTV映画アクション史としての資料としても一級品。
松田優作に関するはじめて知るトリビアも満載。
わしは優作ファンなのだが、最近、松田優作研究と称して過去に読んできた優作関連の書籍を読み直しているのだがけっこう忘れてたり当時はピンときてなかったことが今にしてわかったりで、そーゆーことを色々と書いていこうかと思い「松田優作」のカテゴリー作ってしまったが、万事飽きっぽい俺がどんだけ続くのか。
とりあえず1回目は優作とショーケン(萩原健一)のことを。
優作とショーケンは同い年で優作はショーケンをそーとーライバル視してた。
81年のインタビューでは「彼(ショーケン)のあとから追いかけしがみついてる感じ」「神と人間との間にいる人」「この国であれくらいのレベルの人はあの年齢でいないんじゃないですか」とリスペクトしまくり。
優作はショーケンの家に行きよく飲んでたらしいのだがよく「原田芳雄はスゴイ」と原田芳雄リスペクトぶりを語っていた。が、ある時から「あの人の演技は違う」と批判一辺倒になったという。
優作の初期の演技は完全に原田芳雄のコピー。それがコピーをしきった。次の段階に行こうとした。それが上記の発言になっていったのだとわしは思うのな。慕うべき相手から競い乗り越えてゆく存在と意識したのではないか。
そう思われるエピソードで12月28日の原田芳雄家で行われる餅つき大会。優作ももちろん毎年参加しており、自身も仲間やスタッフを集めての餅つき大会をしていた。まぁ、メンバーはほぼかぶってたらしのだが。
もちろん12月28日以外の日で行っていたその優作家での餅つき大会をある年に原田家と同じ28日にぶつけておこなったのだ。これは明らかに張り合ってる。ちなみにこのころの優作は最初の奥さん松田美智子と結婚してて家は芳雄の隣。
この時のことを桃井かおりが「映画芸術」で荒井晴彦に語っている。
桃井「みんな朝から芳雄の家にいくでしょ。それで後半は優作の家に行くから、芳雄の家がガラガラになちゃったの。そしたら芳雄が優作の家に遊びに行こうって言うのね。それで優作の家に2人で歩いていく途中に「おまえだけだな・・・まあ、もう血が繋がってるしな」っていうわけですよ。「なんでこんな良い人を傷つけるの!」と思って向こうに行ってから優作を呼び出して「一度『兄貴』と口にしたからには、死ぬまで『兄貴』と呼びなさい!」ってしめたんですけど(笑)。「来年も餅つきやったら、本当に燃やすわよ、この家!」って(笑)だけど、帰っていくときに、かおりが「あれは良くないと思う」って言ったら「いいじゃないか、優作はそこまでになったてことなんだから」って、傷ついてるわけでもなく嫌がってるわけでもなく、ちょっと喜んでるぐらいの感じだたの。
後から優作たちも芳雄の家に来て、その日の餅つきはめでたく終了したんだけど」
荒井「優作はやっぱり勝負の人なんだよ。原田さんに追いつき追い越せと思ってたんだろうな。」
桃井「結局、優作は男の子だから、芳雄から始まってショーケンとかいろんな人を混ぜて、自分のオリジナルを探してた。やっと松田優作になって、さぁーってときに死んだ。これからが芳雄と勝負だったのに。」
原田芳雄、でかい!器のでかい男や。そして桃井かおりの鋭い考察。優作とは文学座養成所の同期なのな。
なんか原田芳雄のイイはなしになちゃったな。その②につづく
本当はこの本で知ったトリビア書こうと思ったんだけど、まぁボチボチ書いていきます。