ネットで2月28日に安藤昇のお別れ会があったと知る。
中島貞夫監督が発起人なのな。
安部譲二とか出席したのかな?安藤昇が亡くなった時もコメントみあたらなかったし・・・、と思ったら自らのホームページで安藤昇との思い出について記してました。いや~ネット時代の恩恵だね。
安部氏は最近は新聞、雑誌などのコメント仕事は受けないようにしてるとか。
30分、1時間話してもたったの4~5行にまとめられて、ひどいときには使われなかったりというのがコメント断ってる理由という。
唐十郎は安藤昇主演で映画撮ってるぐらいで出席しててもおかしくないけど今は体調悪いみたいだから出てなかったんだろうな。
BSで山口洋子の特集やてって(「昭和の歌人たち」と作詞家山口洋子にスポット当ててる)なにか安藤昇に関すること出てくるかなと思ったけど、もちろんそんなことは全然なかったのだが、そこでひとつの疑問が自分のなかで出てきたのだ。
それは銀座「姫」を19歳で開店したというとこなのだ。
その番組では1935年生まれと紹介されてたが、ネットでみると1937年生まれ、2014年で亡くなったときが77歳となってるので1937年生まれが正解なのだろう。
で、なにがおかしいかといえば19歳といえば1956年。
山口はその前に東映ニューフェイスに合格して女優をやってて芽が出ずに女優をやめて「姫」をはじめたという流れなのだが、この東映ニューフェィスに合格したのが57年なのだ。
アレ?順序が逆だ。そして安藤昇とは東映時代に知り合ったというのがよくいわれている話で、俺もそれを当然と思っていたが、安藤が映画俳優になったのは65年で東映に行ったのは67年と10年のタイムラグがあるのだ。
そーいや安藤昇が横井英樹襲撃事件で逃亡してるとき何人かの女性にかくまってもらったのだが、その中の1人に山口洋子もいたという。結局逮捕されるのだがコレが58年。
山口が57年東映で女優やってるときに知り合ってるとして58年に安藤が逮捕されるのでつきあった期間は1年ちょっとか。
その後「姫」を開いたときそのバックは安藤昇という記事をネットで見たけど、刑務所入ってたからそれはないだろうし、安藤は渋谷が拠点だから銀座はテリトリー外でしょ。
う~む、山口洋子の小説や安藤昇関連の本読んでそこらへん調べねば!