三途の川の途中で引き返してきた母 | てこてこのブログ

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本当にあと5分遅れていたら、死んでいました。

こういう言葉を本当に聞くことになるとは~

 

5月27日早朝の電話~こういう電話は良いしらせではない

「お母さん救急車で運ばれて、集中治療室に入っている」

妹からの電話だった。

 

夜中の2時ごろ階段下で、「苦しい」という声で起こされて階段を降りると、母親が真っ青でうずくまっている。

、すぐ救急車を呼んで、自分の支度をというところで、あっという間に救急車が到着した。

 

母の家は消防署から50メートルの距離で本当にすぐ救急車は到着したらしい。

 

自分の支度さえままならないまま、救急車に乗り込み病院に向かった。

救急車の乗った時には母の意識はなく呼吸もできない状態だったらしい。

病院ではすぐ酸素マスクをして諸々の検査が同時進行で行われたらしい。

 

病院の医師から「年齢も90歳を超えていること、非常に厳しい状況になっていることの説明があったようだ」

そして「延命措置をするのか?心臓マッサージを希望するか?」などの確認もあったらしい。

何度もこの年齢だし、もう回復はしないのでと言われ、妹もいよいよだめだっとあきらめたっと言っていた。

 

母の状況は、肺に水がたくさん溜まっていたことによる、心筋梗塞と心不全の間の状態だったそうだ。

 

そして肺にたまった水を抜いて、様々な検査をした結果、すっかり元気になった母。

 

そして集中治療室に入っていたのがほんと?というほど回復し5日目に無事退院した。

 

退院の時医師から「ありえない回復ぶりで!」

と言われたそうだ。

 

でも運ばれたときは、本当に危なかった。ということだ。

 

母に当時のことを聞いてみても、「あんなに苦しいことはなかった」

脂汗が流れて、そのあとわからなくなった。

 

と言っていた。

 

倒れたのが夜中。同居している妹夫婦が自宅にいたこと。

すぐ気づいてくれたこと。

 

消防署が近くで、すぐ救急車が来てくれたこと。すべてが強運だったと思う。

 

よくあの状態で生還できたと思う

 

やっぱり人間の寿命って生まれたときにすでに決まっているんだろうか?

母にはまだその時期ではなかった。

 

誰でも、死んでしまう。

こういうことを経験すると、人生を楽しまないと!とあらためて思う。

自分の寿命はわからない

 

いまを楽しむ。

それしかない