世界最悪レベルとなった東京電力福島第1原発事故は、四国電力伊方原発にも大きな変化をもたらした。規制強化による巨額の安全対策費がネックとなり、2号機は廃炉に。火力で多くをカバーするが、再生可能エネルギーも普及拡大し、原発の発電量は大幅に下がった。
一方で、国は原発の活用方針を維持しており、3号機は新規制基準に基づく審査に「合格」した上で2016年に再稼働した。敷地内では運転継続に向けて、使用済み核燃料の新たな保管先となる乾式貯蔵施設の建設計画が進む。
事故から10年たち、安定供給や経済性からも原発活用の意義はますます揺らいでいる。にもかかわらず、問題の先送りを続ける国に、伊方原発が追随している現状を深く憂慮する。事故が起きれば甚大な被害を受ける地元として、県や周辺自治体は原発に向き合い、責任ある判断をしなければならない。
1970~80年代に運転開始した1、2号機の再稼働は、事故後にできた「原則40年」のルールに照らしても現実的ではなかった。廃炉完了にはそれぞれ40年かかる。世代を超えた作業となり、安全に終えるまで気を抜くことはできない。ハードルとなるのが、廃炉作業で出る低レベル放射性廃棄物だ。処分地は決まっておらず、ほかの廃炉となった原発でも選定が難航している。作業が進めば廃棄物が増え、敷地内に長く
留め置かれる懸念も強くなる。四電は早い段階で道筋をつけることが肝要だ。
3号機の再稼働を巡っては、四電が耐震性の向上や重大事故対策に巨費を投じてきた。しかし、耐震設計の目安となる基準地震動を過小としたり、人力に頼った事故対応を不十分としたりする専門家の指摘もあり、不安は拭えていない。
重大事故が起きた場合の避難計画についても実効性が疑問視されてきた。地震や津波との複合災害に、感染症への備えも加わる。県は毎年避難訓練を実施しているが、現状で住民の命と健康を守れるか、検証が尽くされたとは言い難い。
事故後に司法判断で2度、3号機の運転が差し止められたことも大きな変化といえる。地震や火山の災害想定が甘いとする判断もあり、四電と国は重く受け止めねばならない。司法判断でいつ運転が止まるか分からない状況は、電力の安定供給にも影を落とす。
乾式貯蔵施設の新設は、国の核燃料サイクル政策の行き詰まりで必要に迫られた。使用済み核燃料の再利用は計画通り進むかどうか不透明なままで、一時保管が永久になるとの懸念は強まるばかりだ。
事実上破綻した国策のしわ寄せが地元にきていることに、県や周辺自治体はもっと危機感を持つべきだ。国に政策の転換を促し、原発に依存しない地域の活力の在り方について、本格的に議論する時期にきている。