人間の人生なんて、本当にもろくあっけないなんて思ったのは
ぼくが19の時だった。
父がアルコール依存症で肝臓を悪くし、2日も待たないうちに先立ったのは6年前!
今度は母の命に大手が掛かった。
半年の余命宣告!それは別に珍しくもなく、多くの方が死にたいくないのに、それがかなわない!
主治医の先生から呼ばれてその事実をきいた時も、涙が出るだけで、本当にそれだけだった。
この時期、集中した親族の死は私の心を麻痺させた。
2歳の子供から、60歳までにおよぶ防ぎようのない死!
若い私にとって、それは悲しさを通りこした全くの空虚を意味していた。
しかし、そんな中で、なぜだかこの瞬間だけは、私の心が寂しさのあまり悲鳴を上げた。
その時と言うのは、私を哀れむ友達のお姉さんグループと会う時だった。
もう、成人しようかという私に、かわいそうな!と言うスタンスでのサービスが施された。
もう、成人しようかという私は、恋愛にも飢え、若者として普通に過ごしたかった。
しかし彼女たちは、一緒の食事をしたり、遊びに行ったり、演奏したり、お酒を飲んだり
彼氏をそっちのけで、私をかわいがってくれた。
やがて私は彼女たちの彼氏とも仲良くなり、彼女たちが取るべき道が把握でき始め、彼女たちと会うこと
になんだか罪悪感と不純な感覚を感じようになる。
こんなことしていて、何になるんだろう?
そんな疑問がわいた時、私は一人でいることを決めた。
その1人でいるということは、ひとりでいることではなく、母の看病に全ての時間を費やすと言うことを
意味している。実際その選択が効果大で、母親は3年と6ヶ月生き続け、ありとあらゆる幸福をつかんで
あの世に行ったが、その時が私の本当の誕生日になる。
突然生まれた異常なくらい自由なコンデションで、世間離れしていた私は以前から引きずっている一人
遊びの世界から抜け出すために大変苦労した。
しかし、そんな状況と裏腹に私にすぐさま春がやってきた。
彼女ができ、そして2人の愛は異常な状態で急速に燃え上がる。
いてもたってもいられない感情!
これだけ幸せなら、今までのことは水に流そうじゃないか!
そんな不謹慎な言葉が出るくらいニヤケていた私!
もう一緒に暮らして、すぐ結婚しようよ!そん段取りができ
いざ準備にとり掛かろうとした時
親族から、一周忌も終わっていないのに結婚とは何事か!
と言う苦情が来た!
私はそれもそうだと思い、彼女に一周忌の翌月に籍を入れようと提案する事にした。
その話をする時、彼女は異常なほど取り乱し、博多の客がいっぱいの喫茶店から
泣きながら飛び出した!
それから、彼女の母親からお詫びの電話が1回
彼女からは連絡がなく、居留守を使われたりと
散々連絡の取れないまま時間だけが過ぎ
お望みの結末を迎えた。
彼女とお別れをしたが、それが最後を意味させないためにも
私はそれから音楽活動へのめりこんでいった。