本家と元祖の戦いというものがある。「正当性」を御旗とした戦い。もっとも有名な戦いは和泉流狂言だろうか、帆布バックだろうか、いや、やはりここは「八つ橋」だろう。八つ橋の創業年を巡り、井筒八つ橋が聖護院八つ橋を訴えて裁判になったというニュースがあった。裁判所は結局、どちらに軍配をあげたのだろうか。まあ、どちらでもいい。本家と元祖の戦いは、けっきょくのところ部外者にはどうでもいいのである。

 いま流行りのAIに、どこが本家でどこが元祖なのか調べてみた。「本家 八つ橋」で検索すると「本家西尾」と出てくる。西尾の八つ橋は美味しくて安い。納得だ。次に「元祖 八つ橋」で検索すると「元祖西尾」と出てくる。本家も元祖も「西尾」ということになる。これでは、井筒と聖護院の戦いは、西尾に負けたことになるではないか。西尾が漁夫の利を得たことになる。ひょっとしたら、井筒と聖護院が真剣勝負をしている時に、西尾はAIに学習させて検索ワード一番にくるような販売戦略をしていたのかもしれない。井筒は弁護士に金を払うのではなくアルバイトを雇って「元祖はうち」「本家はうち」とAIに学習させたらよかったのだ。AIには京都のディープな世界が分からないのだから。がぜん面白くなってきた。

 八つ橋について書くのは2回目である。初めて書いたのは、京都の修学旅行から戻った中学3年生の時だ。「修学旅行の思い出を書いて」と原稿用紙を渡された。学校だよりに載るのだという。「~~に行きました。~~を見ました。~~が楽しかったです。」という構成に飽きていた私は、清水寺にむかう参道で友達と八つ橋を試し食いをした思い出だけに絞り(ワンイシューである)原稿用紙を埋めた。非常にうまく書けた、と内心得意満面であったが、友達にも家族にも先生方にもおおむね不評であった。言うなれば四面楚歌である。学年主任の先生は職員室前の廊下で私を呼び止め、「修学旅行の思い出というのは、~~に行きました。~~を見ました。~~が楽しかったです。と書くものだ。」とご教授くださったくらいだ。ちょうど通りかかった国語の先生だけが「俺は、君の文章は面白いと思ったよ。」と、大きな声で言ってくれた。どれほど嬉しくてありがたかったことか。今でも清水寺の参道で八つ橋の試食をするとき、あの事を思い出す。