時間が経ってわかること。




苦しみも

悲しみも

痛みも

絶望も


全ては自分の生きる糧になる。


あれこれと聞かれても

うまく答えられない

そのくらい

体内、脳内、心内では

台風のように全てを撒き散らして

一つ一つのそれらが

思いもよらない場所で着地して

カオスになるけど

いつか片が付いてく。




それまでに起こる

痛み、苦しみ、悲しみ、怖さ、、、

全ては

血となり肉となる。



頭が覚えていなくても

思い出そうとしなくても

それらを経験した身体は、脳は、精神は、

魂さえ巻き込んで

忘れてくれないから。



確実に刻み込んでる。



そして、

それを背負ってでも生きていく強さを

己は勝手に生み出していく。





多分、それが

生きる

という覚悟。




生きる意味なんてどこにもない。

探す意味なんてない。

それは、

生きる意味なんて無い

ではなくて、

そんなもの探すものじゃない。

生きてることに感謝なんてそんな簡単なことでもないけど

生きてるだけでいいんだ。

生きてる時間をどう使うかもそれぞれでいいんだ。

でも生きてるからこそ、

人はいつでも屍にもなれる。

不幸自慢も幸福自慢も

生きてるから出来ること。






血となり肉となったな…


そう気付いてからが


私の第3の人生。


そして、


現在に至る。





第1の人生は、


何も知らずに無垢に純粋に生きてた幸せな時間。




第2の人生は、



人の儚さ、心の儚さ、そういうのを知り苦痛と出会い、絶望し、朝なんか来なければいいと全てに背を向けて生きた時間。




そして今が第3の人生。


まだ私の心臓は暴れたがってる。

私の本能が、私の魂がまだまだ貪欲に生きたがってる。




細胞分裂みたいな変化の人生。