私は幼い頃、複雑な家庭環境で育ちました。
父は子供達には優しかったけど、気分や仕事の調子次第ではあまり良い夫でも父親でもなかった。
母は仕事で忙しく、家庭に問題もあったため、ピリピリしていることも多かった。
思春期や二十代の頃はかなり親を恨んだし、今でもトラウマがあります。
でも、振り返って考えてみると、私は色んな人に愛されて育ったなと思うのです。
ろくでもない父親役の妻夫木くんが娘に、「親がダメだから自分もダメだという、他人のせいにする生き方は良くない」と説教をするシーンがありました。
「俺がダメなのは、誰のせいでもなく、俺のせいだ。
俺は俺の人生を生きている。
これから色んなことがあるかもしれないけど、お前にも自分の人生を生きてほしい。」
みたいなことを言っていました。
ダメ親父にそんなこと言われたくないけど…
でも、それだけは、ダメ親父が本気で、娘に伝えるんです。
このシーンを観て、私はなんかスッキリしたんです。
私は自分のダメなところを親のせいにして、親のために生きていた時期がありました。
でも、社会人になって、色んな人に出会って、色んなことがあって、自分の人生を歩むようになって、本当に楽しくなりました。
結婚して子供を産んで、幸せに暮らしています。
過去の色んな辛い環境のことを思い出すこともあるけれど、その頃の周りの大人達がどんなことを考えて感じて生きていたかに思いを馳せることも出来るようになってきました。
同情したり、許せなかったり、ああはならないようにしようと思ったりします。
幸せだったこともたくさんあったし、色んな人に愛されて育ったなと思います。
常に優しかった祖父母や、ダメ親父だったけど憎めない父親、辛い中でも子供達のことを優先してきた母親、ムカつくことも多いけどお互いどこかで支えあっている兄達…
子供は、親だけが育てるのではない。
子供は、自分で育つ。
やっぱり色々あっても何年もかかっても、何かを乗り越えて、こうやって幸せに生きていられるのは、周りの人達に愛されていたから。
こないだ、旦那と「夕飯は毎日作って食べるか、今までみたいにお互いバラバラでなんとかするか?」という話をしたのですが…
やっぱり家で家族でご飯を食べる幸せはあったほうがいいよねというなんとなくの結論に。
なんの変哲も無いご飯が美味しいんですよね。
↑いつの夕飯かも分からないありふれたいつもの夕飯
私の母は、どんなに忙しくても、朝ごはんを作って置いておいてくれて、お弁当を持たせてくれて、夕飯を作ってくれました。
私は母親から離れたくて、社会人になってすぐに家を出て、忙しくて適当に毎日ご飯を食べる生活に慣れていたのですが…
その後NYに駐在した時に母が遊びに来て、毎日朝ごはんと夕飯を作ってくれました。
味噌焼きおにぎりの朝ごはんや、普通の味噌汁とご飯と野菜炒めの夕飯が懐かしくて、とても幸せな味でした。
家庭の味の記憶があるという当たり前の幸せ。
当たり前すぎて価値を忘れがちなのですが、当たり前じゃないんですよね。
どんなに忙しくても母が毎日何年も続けてくれたから、記憶に残っているんです。
父が作ってくれた餃子や、兄達と食べたカレーうどんや、祖父母と食べた鰻…
愛情とご飯と思い出は密接に結びついている。
これから私は娘に何を食べさせてあげられるのでしょうか?
幸せになる力=愛情を注いで、美味しいご飯を食べさせてあげたいものです。
…なんてことを離乳食を始めて思う、夏の日。
お盆だからかな。
まあ、昨晩の夕飯は作る気になれなくて、帰ってきた旦那に作ってもらっちゃったけどね。

