図書館から借りた一冊の本を手にした
何気なく見て寝るつもりだったのに
その世界に引き込まれていった
「鬼の眼 土門拳の仕事」
酒井の土門拳記念館監修の代表作369点の写真集
古寺巡礼はじめ、何度も目にした写真集なのに
「風貌」「文楽」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「室生寺」「古寺巡礼」「古窯遍歴」…
発表された作品、考え方はその都度社会に大きな影響を与え続けた
その被写体は絞られている
日本の風景、子供達、人の風貌、古寺仏像…
でも、そこに写っているのは、紛れない日本の姿だ
戦前・戦中、戦後、告発、風貌、古寺巡礼の5章構成で作品が並べられていた
女性も青少年も戦地に赴いた
"自衛"とはそういう事だ
お国の為…その"国"とは何だったのだろう
その歴史の中で学んだ事は何だったのだろう
交戦権を放棄して平和を記した憲法
その原点を見る気がした
富でいなくても、豊かな心を子供達は宿している
今の子供達は富のある生活を生きている
でも、塾通いの時間に豊かさはあるのだろうか…
ふと疑問に感じた。
衝撃的だったのは、やはり告発の中の「ヒロシマ」と「筑豊の子どもたち」
僕が生まれた昭和30年代…それは最早戦後ではないと言われた高度成長の時代
でも、そんな時代の潮流から取り残された様な場所が有った事を写真は示している
『しかしぼくは、広島に行って、驚いた。これはいけない、と狼狽した。ぼくなどは「ヒロシマ」を忘れていたというより、実は初めからなにも知ってはいなかったのだ。十三年後の今日もなお「ヒロシマ」は生きていた。焼夷弾で焼きはらわれた日本の都市という都市が復興したというのに、そして広島の市街も旧に立ちまさって復興したというのに、人間の肉体に刻印された魔性の爪跡は消えずに残っていた。』
「はじめてのヒロシマ」
土門拳さん自身の言葉がぴったりと写真に嵌る
皮膚移植の生々しい剥き出しの写真
それが正に現実だったのだ
閉山に追い込まれる炭坑
そこで撮られたのは、やはり子供達の姿だった
母親の居ない姉妹、ボタ山から、素手で石炭を拾う幼い子
哀しく、でも必死に生きる姿は希望にも思える
土門拳さんの言葉が記されてした
『その人らしいということと、その人ということは、必ずしも一致しない。
気力は眼に出る。
生活は顔色に出る。
教養は声に出る。
しかし、悲しいかな、声は、写真のモチーフにならない。』
肖像写真について
時の文化人達を撮り続けたのは、そんな教養を写真に埋め込みたかったのでは…そんな気がした
"走る仏像"の言葉に有る様に、静止している仏閣や仏像も、そのシャッターチャンスは一瞬しかない
その一瞬の為に、食事も忘れて長い時間待つ
それが土門拳さんのスタイルだったと内弟子の方の言葉が残っている
言葉無く鉄拳が飛んで来たと…
社会、子供達、風貌の先に古寺巡礼に辿り着いたのは、必然だったのだろうか
日本人を日本人足らしめるもの
それは何なのか?
それを問い続けて来た様に思える
とても意味深い本だった
*写真は全てネットからお借りしました






