2021年6月5日
久々の釣行、
ではなくて
山行。
岩手山は6、7年前だろうか、網張から焼け走りまで縦走、下山開始直後から疲労が膝に集中し歩くのがやっと、自分の年齢を思い知らされる散々な結果で、一緒に行った中学生の息子に敗北宣言をしたものだ。
今回の御神坂コースは38年ぶりか、大学生の時に登って以来になるが、その時もキツい登りだったことだけは覚えていて、今回も苦戦することは予想の範囲だった。
けど、ここまでとはねぇ・・・。
7合目あたりで数十歩進んでは休んでを繰り返すほどに疲労困憊していて、息子を先行させた。
後続の登山者にも抜かれ、そのうちのひとりに『会社以外では初めて会いましたね』と声をかけられた。同じ会社のTT氏だった。トレランをしていたのは聞いていたけど『2時間切るつもりだったけどちょっと無理かも』ってこっちは4時間かかるかってのに・・・・。『もうちょっとだから頑張って楽しんで』
って、そんな余裕ねぇし。あとちょっとがこの上なく遠く感じるもので、それでも勇気付けられたのは確かで、なんとか不動平の避難小屋にはたどり着いた。山頂から降りてくる息子を待って避難小屋で昼食。塩ラーメンのスープのうまいこと!
さすがに山上は風が強く小屋の中は息が白くなるほど気温は低い。
下山は普通なら楽々なものだけど勾配がキツいとむしろ足に余計こたえる。足の痙攣に耐えながら休み休み下る。
途中、私より年上だろう人達も登って来て、山頂まであとどれくらいか問われるけど、私の答えを聞くと引き返すことを決める人が多かった。上に行くほどに厳しさは増してくるので、その判断は賢明と言える。
前日の荒天からすると奇跡のような回復の好天に恵まれはしたものの、岩手山をなめていたし自分の体力も過信していた。前回の山行の後もダイエットを誓ったはずだったが実現などするはずもなく、むしろ体重は増加の一途を辿るのみ。健康のためにも減量は必須なんだけど優柔不断さはいかんともし難く今日に至る、だ。
下山後、とにかく休みたくて網張温泉の日帰り館で温泉に浸かることにした。泉質は硫黄泉、白濁した湯がいかにも筋肉の疲労を癒してくれそう。快晴の青空に蝉の声、のんびりといつまででも湯に浸かっていられそう。
網張から雫石に降りて松ぼっくりのアイスクリームを食べた。順番待ちの行列ができるほど盛況だけど5分と待たされるでもなくありつけた。車で食べる人や持ち帰る人で回転率は良いのだろう、ひっきりなしに客はやって来るのに行列は短い。この店も出来てだいぶたつはずだけどかなり儲かっちゃったりしてるんだろうな。
最後に一本桜で岩手山の見納め。
話は変わり、最近、息子が自転車で居住地の福島を走り回っているという。その自転車は高校入学の時に譲った私のお下がりのMTBだ。ロードで走る爽快感もいつか教えようとは思っていて、体力的にも追い越されたこの機会にロードも譲ろうと思い、ロードに乗るならシューズが必要、盛岡に来たついでに買っていこう、とSSSサイクルへ行った。
普段履く靴のサイズが28センチだというので、在庫の最大の靴を試したところピッタリ。
車に乗っていてはわからない風景や見知らぬ場所を自転車では見つけられる。きっと新たな発見があるはずで、その体験ができるなら自分の自転車を譲ることに躊躇はない。
あーだこーだ店員さんと話してたら夕方5時も過ぎた。南イオンに行ってお土産を買い、疲れた体に栄養をつけようと晩御飯は焼肉にした。これも38年前の学生時代にアルバイトをしていた明月館へ。盛岡で冷麺では2番目の老舗だという。ちなみに1番は食道園だそうだ。冷麺の味は全く変わってなくて自分の冷麺の原点だ。
さすがに帰りは高速利用。
家に帰るともう寝るだけで、足にサロメチールを塗り込んで早々に床についた。
1日遊びきった。
さて、肝心の凛々丸ですが、コロナ禍のなか泣く泣く自粛をしておりました。
なんてのは表向きで、お天道様と風が許す限り海に出てました。実は1月からブログ更新もサボっていたんだけど、船外機やアイパイロットの故障、佐藤鉄工所のブルーキャンバス号の進水など、いろいろありました。
釣行のカウントも、
178回目を数えます。大体だけど・・・・・。
メバルを最後の砦にソイ、サバ、アナゴの夜釣りも行ってました。