母が旅立ってから
1か月以上が経ちました。
あの日の夜は新月だったのだなあ
と、さきほど月暦をみて、知りました。
母の死のプロセスに
私は立ち会っているはずなのに
なぜか実感があるようでなく、
交わした会話や表情などを思い出しては
もうこの世にいないことを実感し、
ふいに涙がこぼれてしまいます。
スピリチュアリズムを学び、
ホリスティックを生き方の軸に
しているはずなのに、情けないなあ。。。
肉体は滅んでも魂は永遠なのになぁ。。
まあ今は、そんな自分を受け入れながら
過ごすときなのでしょうね。
さて、母の死をとりまく
不思議な符号がいくつかあります。
私は20代で父も亡くしていますが、
その符号は
父の死と関連する形であらわれています。
ひとつは、旅立ちの日。
実は、父が旅立った日は
母の誕生日の翌日だったのですが、
母が旅立ったのも
父の誕生日の翌日です。
(見事なパーター!)
加えて、ふたりとも旅立った日は
よく晴れた休日。
しかも、夜は新月でした。
私が記憶している限り、生前の両親は
決して仲がよかったわけではないのですが、
施設に入居してから、
母がぽつりぽつりと
話してくれたところによると
どうやら母は、父のことが
「大好き」だったようです。
お互いが20代の頃、
病院で闘病中に出会い、
短い恋愛期間を経て結婚したふたり。
(今から65年ほど前の恋愛結婚はわりあい
珍しかったのではないでしょうか?)
その後、ふたりはたくさんの苦労をして、
たくさんの葛藤のなかで
子どもを産み、育て、働き、
やがて人生の後半で
別居という選択をしました。
それまでに起こった
いくつかの出来事によって
母は父に、きっと愛憎に似た思いを
抱えていたに違いありません。
そう思っていたのですが……。
「今でも好きよ!」
去年、母のところで
父のことを話していたとき、
発語が乏しくなっていた母が
急にそんなことをいいました。
まるで目の前にいる父に
言い聞かせるかのように。
母のそばには、
きっと本当に父がいたのでしょう。
そんなことがあった矢先、
私のもとにも父がやってきました。
覚醒夢です。
父があらわれたのは、
なんと私が寝ているベッドの上。
背広を着てネクタイを締めたいつもの格好で
ふとんの上にあぐらをかいて座るのです。
その顔は柔和で、
真っ暗な寝室の中で身体のまわりだけ、
ぽぉっと光がさしていました。
そして、
「ここまで来るのは時間がかかったよ」
と……。
そんな父をねぎらおうと
私は自分の枕を差し出し、
「ここでゆっくりと横になって」
といいました。
その言葉に素直に従ってくれた父。
生前は、もっと頑固な人だったのに(笑)。
ほのぼのとした夢でした。
いろいろあった人生だけど、
自分の意思で生きた二人。
今は、見えない世界で
ともにいてくれていると信じています。
