久々のブログです。


夜寝る前には、いろいろ考えて

いい文章を思い浮かぶのに、いざパソコンの前に座ると

どうも違うことを書いている気がする。


やはり、誰が読むわけでもないのに

もし、読まれたら?という気持ちが

どこかに あるのかもしれない


今日のお題は 心の強さ


いろいろな経験をして、それなりに乗り越えると

それなりに メゲない心にはなると思います。


しかし、現代は 乗り越えられないような状況におちいり

心が壊れてしまう人が多いように感じます。


これは、ここ最近と感じます。


きっと

100円ショップのせい!


100円ショップは、何でも手に入るけど

努力しなくても ガマンしなくても 手に入ることを

覚えてしまう。


バブルを経験して、お金の強さを知っている。

しかも、何か暴力を振るうと 大変なことになる。


口先のうまさ

その場だけの気の強さ

お金


これがあれば

お山の大将が いっぱい出来上がる世の中


そんな中を、しっかりと やさしさを持ったまま生きるのは

結構大変なことだと感じる。


100円ショップは便利だけど、無い方が良いかもしれない。

これについては、結構真剣に考えさせられるので

また次に気が向いたら書くことにします。


話はもどって

心の強さ


じゃ、心って何のためにあるのか?

別に、イヤな思いをしたりツラい思いをするだけのものなら

いらない


でも、他の何にも変えられない

お金では買えない

すぐに手に入らない


そして、言葉だけじゃない

そうした 何か を感じることができる場所

それが 心だと思っています。


だから、

簡単に傷ついてしまうし、壊れてしまう


本当の やさしさに触れたいから

いつも やさしい環境につつまれているけど

自分自身を鍛えよう


自分自身に甘いと

やさしさは 逃げてしまうから


自分自身に厳しすぎると

自分が自分から逃げてしまう


難しいけど

ちょっとだけ、相手の気持ちになってみよう

ちょっとだけ、ガマンしてみよう


こう 言い聞かせると

ちょっとだけ、自分の心は強くなる。


ちょっとだけ、昨日より やさしくなれる。


そう 思います。


伝えたいこと


たくさんある。

寝る前に、いっぱい出てくるのに

画面を見ると出てこない。


相手に対する気持ちが

相手に100%向いていると考えられるけど

パソコンに向かって「何て書こう」と思っていると

結構、書けない。


昨日、ミリオンダラー ベイビーを終わりの方だけ見た。

そこで

 人は、ごく普通に働き 不平不満をかかえながら

 平凡に生き、死んでいく

というようなことを言っていた。


そうだと思う。


世の中で目立つ人は、本当に少ししかいない。

本当は能力があっても、それが表現できて

誰かに認められない限りは、普通の人となってしまう。


自分の父親は、平凡な人生を送っている。

自分から見ると、酒癖悪く良く泣かされたが

子供を教えること、特に迷っている子供を

自分が考えるようにすることに関しては

No.1といってあげたい。


でも、大人のしがらみで、その能力は

父親に接した子供たちしか解らなかった。


もっと、多くの子供たちに接して欲しいと思った。


母親は、平凡に主婦だったが

本当のやさしさと生きていく中でのプライド

ということを教えてくれた。


無理やり言葉で いろいろ教えることは無かった。

自分の行動で示してくれた。

たぶん、教えるつもりで行動したのではなく

いつも本当に私のことを思っていてくれたから、

伝わったのだと思う。


伝えたいこと

本当に伝える方法は、言葉だけじゃない。


相手を思う気持ち

その気持ちから 自然と体が動くのだと。


伝えたいこと


子供に伝えたいこと

自分が経験したことで、子供には失敗して欲しくないこと

子供が迷ったときに、答えを探せるようなこと


自分が、ずっと子供と一緒にいられるのなら

そのときに伝えればよいのだけれど

ずっといられるという、保証はない


だから、

伝えたいこと


好きになった人に振り向いてもらえないとき

それは、自分の背がちいさいからなのか

自分のやさしさが伝わらないからなのか

それは、自分が好きになった人の心の中にしか答えが無いから

精一杯、自分の気持ちを言葉だけじゃなくて

行動で伝えることしかないと思います。


言葉では何とでも言えるけど

自分が実際にやってみること、

自分よりも相手を思った行動が、長くできること


それは、本当の気持ちがないとできないと思います。

同時に、人から好きだと言われても

その気持ちが本当か、そうじゃないのかは

その人の行動が答えです。


好きな人よりも自分のことが優先する人なら

それは、好きになってくれているのではなく

興味があるからだけだと思います。


気持ちと気持ちが一緒になって

始めて 好き というものと思います。


これから、人を好きになることもあるでしょう

でも、振り向いてもらえず

自分の姿かたちや運動能力、しゃべり方など

全部を恨みたくなることもあるでしょう。


そんなときでも

自分の外見は、大きくは変わりません。

でも、よりよく見せることはできます。

自分の弱点を知り、どうしたらよく見えるか

それを考えることも相手を好きな気持ちの現われです。


中身も、変えることができます。

でも、相手が好きなように中身を変えることは

同時に、自分自身が無くなる事です。


自分は自分。

他の誰と同じでもない。

ただ一つだけの存在。


だからこそ、自分がなりたい自分を創って

それに近づけるように努力することが良いと思います。

その姿は、必ず他の人からも認められるでしょう。


時間は、かかるかもしれません。

努力が解ってもらえないかもしれません。


でも、必ず

ある日

変わっている自分を感じることができます。


それを、繰り返し繰り返し

自分の望む姿になってほしいと思います。


自分は、自分

不安になったら

自分に言い聞かせることです。


自分なら 出来る

かならず

いつの日か


かならず

見つけられる


そう言い聞かせて

頑張って欲しいと思います。

ブログ 久々です。

こうしてみると、読む人がいないと思うと書かないものだと解ります。


人って、やっぱり横着が基本なのでしょうか?

というか、「誰か」がいないと

人は、なかなか行動しないものと感じます。


結局は自分を満足させるために行動してしまうのが

人間の決まりことなのでしょうが

その行動が他の人を喜ばす場合は、その行動は悪いことではないと思います。


そんな関係で人と人はなりたっていると思います。

こう書くと、えげつないように感じる人もいるかもしれません。


でも神様でないのですから、当たりまえといえば当たり前で

悪いこととは思いません。


ちゃんと人間は、自分も大切にするのと同様に

他の人を大切にする気持ちを持っています。

これは駆け引きなどではなく、気持ちの底から湧いてくるものと思います。


ただ、心の底から思っている気持ちと

表面上の言葉だけのものとは

区別が難しいのも事実です。


言葉があるから自分の気持ちも伝えられるけど

言葉があるから、他の人をだますこともできる。


困ったものですが、これまた

人は未完成なもの=神様じゃない から

失敗もするし、きれいごとだけじゃない

ということなのでしょうか?


まだまだ、解らないことは多いですが、

今日も答えを探しつづけています。


・・・暗く、落ち込んで悩んでいるわけでもないですが

  たまには、こうしたことを考えることも必要と。


勝手口の鍵をあけて 靴をぬいで

音がない家に入る。


かぎっ子 

今では、あまり聞かない言葉

普通になってしまったからなのか?


両親が働いていて、兄弟もいない。

だから帰っても、誰もいない。


カバンを部屋まで持っていって

手を洗って

おやつを食べる。


音がしないのが淋しくてテレビをつける。

音が出ているけど、淋しさは変わらない。


そんな時間が過ぎると

母親が帰ってきて、ちょこっと学校のことを話したりする時間が来る。

また時間が過ぎると

父親が帰ってきて、会社での愚痴が始まる。

その愚痴を聞きたくないので、自分の部屋にこもる。


自分の部屋

そこに一人でいると

音はするけど、人もすぐそばにいるけど


こころの周りに人がいない。


淋しいという感覚とも違う。

そばに居てくれても、あまり変わらないかもしれない

変な感じ。


夜になって、ご飯を食べて 宿題をして

家族に中で 一番最後に風呂に入る


風呂に入る時間は、だいたい12時近くである


外の音がする。

人が歩く音。 他の家の生活する音。

もう夜中なのに、人がいるという感じがする。


自分とぜんぜん交わることのない

相手を知ることはない人が


風呂の湯船に入っていると

いろいろと考える。


「なんで ?」


だいたいは、今日おきたことや

ずっと気になっていることが

次から次へと頭の中で 「なんで?」を作っていく。


それぞれに答えがあれば、ゆっくりできるのだが

ほとんど答えなんか出ない。


「あ~ 誰か教えてくれ~」

「誰か、答えを。 僕は どうしたらいいんだ?」


湯船の中は、そんなことを考えることが多かった。

私は、一人っ子です。


一人っ子というと、一般的に

世間的には、良く思われません。


わがまま とか・・・ 自分の思い通りにしたい とか・・・

個人的には当たっている部分も 確かにあるけど


それ以上に、性格の部分が強いような気もします。


ただ、一人っ子の場合

兄弟姉妹といった年齢の近い話し相手がいないことから

相手と話しているときに感じる

「言葉に表現できない不安」

というものが共通してあるように感じます。


これについては、また気になったときに書きたいと思うので

今日は、夢の話にしたいです。


一人っ子であることと 夢の話

つながりは?


小さいときに つらいことがあったら

どうやって解決していました?


たいがい解決なんてしないで、時間が経つことで

なんとなく気にならなくなっていたことが多かったように思います。


しかし、どこにも逃げようの無い苦しさが襲ってきた場合、

ちょっと違う行動をしていたように思います。


それは、夢とか空想に逃げることでした。


親に叱られたりしたときなどは、「きっと自分は捨て子で

そのうち大金もちの本当の親が来るんだ」とか

テレビで見たようなことを自分に重ね合わせていました。


そんな、ちょっと情けないものもありましたが

子供のころでないと考えられないようなものもあったように思います。


今流行のハリーポッターなども、作者の状況を聞いている限り

現実に対する不安からの空想がきっかけのような気もします。


不安や苦しみは、確かに本人にとって大変なものですが

なんとか乗り越えると、思いもよらないプレゼントもあると思います。


明日は、レベルが低いかもしれませんが

子供の頃に思っていた空想について

書いてみたいと思います。


いろいろなものに ぶつかり

その度に 答えを探して・・・見つかったり

見つからなかったり。


そんな生活の中での

まったく まとまりの無いブログのスタートです。


で?

何について話すかを考えていて、

今まで考えていて

結局、決まらないので


いきなり大きな話からスタートしちゃいます。


それは、小さい頃から

「なんで 自分だけ?」

と感じるたびに思っていた疑問


”人は、何のために産まれてくるんだろう?”

ということです。


小さい頃は、いろいろな理由でイジめられたり

周りの大人の事情の影響を受けたりして、

子供なりに苦しんだりすることがあると思います。


そんなときに、その苦しみを感じないような環境

例えば、何でも話せる兄弟がいるとか・・・そんなことがあれば

苦しみよりも もっと興味のあることが中心になって

何のために産まれてくるのか?なんて考える時間が無いのでしょう。


私の場合は、たまたま そんな環境になく

じっくりと考える時間が出来てしまったので

小さい頃から、疑問を持ったと思います。


じゃあ、今まで悩んできて

答えは見つかったんかい?


まだ です。


ただ、

「何のために産まれてくるのか?」 という疑問は

「自分が存在していても、これからも苦しいだけなのか?」

ということと同じように感じます。


だから、答えは

まだ わからない です。


明日、いいことがあるかどうか?

わからない からです。


今日、悪いことがあっても

明日、悪いことがありそうでも

絶対というものは無いと思いたいのです。


確率論的な話からすれば、高い確率のものは

まず起こってしまうのでしょう。


でも、悪いことに どう向き合うか?

それを考えているだけで、少しは 

マシな結果になったりしていました。


そんなことを繰り返していたので、

今の私は、

めいっぱい心配症 なのです。


いまなら、それも自分自身と思えますが

小さい頃は、解らないことだらけで

何もかもが 不安でした。


今は

いたって普通です。


株で損したりするけど

小さいことで 悩んだりするけど


こころが まわりの人の心の動きを

キョロキョロ探しているようなことは

だいぶ無くなりました。


それでも、まだ

何で産まれてきたんだろう?


いまの心境は、

自分には、何ができるんだろう?

何を しなければならないんだろう?


生きている間に

自分が大切にしている人に対して。


まとまらないです。

とりあえず、こんな感じで

つづってみたい。