おばあちゃんが逝った。

92歳、大往生だ。

2週間前に出逢って、
もう、長くないんだなていうのは
顔見てその時分かってたけど、
棺に入ったおばあちゃんの亡骸は
私の知っているおばあちゃんじゃないみたいだった。

内孫で同居してて、両親が共働きだった私の子供時代、半分はおばあちゃんだった。
今まであんまり気にしてこなかったけど、
おばあちゃんのエネルギーの影響もわたし結構受けて育ったんだなって気づいたのはここ数ヶ月。

毎日お世話してもらってるのに
癇癪おこしたり、わがまま言ったり、傷つけたり。

だけども、
おばあちゃんはいつも『とまよちゃん、とまよちゃん』と私に話しかけてくれた。
私が反発すると、悲しそうに困った顔をしてた。

おばあちゃんは、私達親子からみたら
ずるくもあった。
だってウチの父が長男で、
一緒に暮らして経済的にも面倒みてるのに
可愛がるのは、気に掛けるのは
父の他の兄弟ばかり。。。
そのくせ、経済的には父から全てとっていく。。。

そんなこんなで、
家族のいざこざや色んな想いもたくさ~ん
巻き起こした人だった。

私は、こんな家族、こんな親戚関係、いやだーーーーーーーーーーーー!!!
と思いながら育った。

でも、今日の葬儀に流れる空気は
とても神聖で、
私個人としては、
とても腑に落ちた日だった。

それは、たくさんのイザコザがあったけども
結局、おばあちゃんの四人の子供は
全員、おばあちゃんが好きだったと言う事だ。

上手く行ってた、行ってなかったは別にして。

やはりほとんどの人は幼少期を共にした想い出の原点が好きなのかな。

おばあちゃんは、私にとっても、『ひとつの時代』でした。
私のひとつの時代が終わりました。

最後に、『ごめん』を声に出して言えてよかった。