穏やかなお正月
一週間ぶりにぼちぼちと外にでて、
ゆっくりと畑周りを散歩しました。
健康で、自分で歩けること・・。
今、そのような状況ではない皆さまを
どうこう申すのではありません。
その方々なりの思いや、健康度や自由度不自由度、様々であり
心が豊かなのか、風邪をひかれているのか、また、ゆっくりと自分と向き合われているのか
きっとそれぞれであるかと思います。
あくまで・・ 自分におとずれた「健康状態の波」から
思いを巡らす機会をいただいた・・と申しますか
年末にいわゆる「 ぎっくり腰 」になりました。
人生においておそらく6回目。
兆しが感じられると、ベルトをしたり、
全身の筋肉をバランスよく使って・・などの用心もうまくなっていたと
思い込んでいました・・^^;
身体は確実に老化しますし、頭と思いとのギャップも自分の裁量を簡単に越えていることに
気づかない、ということに気づかされた出来事でした。
深夜に病院へ。
痛みで悲鳴を上げる。。という状況は初産以来。
(2人目も3人目も、ありませんでしたので・・)
自分の裁量を越える事態が発生すると
日頃偉そうにあーだこーだ言っていた自分が
結局、安心安全健康状態に完全に胡坐をかいていたのだと
激痛に耐えながら、何度もダメだと思いながら、強く思い知らされました。
(事のほか重症であるとのドクターの診断、但し治療薬はなく対処療法をしつつ時を待つしかない、という
闘う相手はどこだ!?的な・・)
それでも、『 薄紙を剥ぐように 』
起き上がるだけで3~40分かかったり
トイレに移動するのに小一時間かかったりしていたのが
先述の通りぼっちぼっちと外の空気を吸いに歩けるようになりました。
亡くなった母が、脳梗塞で倒れたときに
「リハビリ頑張って早くおうちに帰ろうね」と気軽に言ったのを思い出したのですが
高齢で発症した予後の悪さや、本人の気力や
医療環境のミスマッチや、様々なことを自分流に勝手解釈して
『動けない辛さ』に真に寄り添えてなかったな・・と
今さらながらまた思い出しました。
・・・・ たかが、我が身に起こった小さな出来事で
こんな風に感じるのは少々大げさであることは重々承知、
それでも、「 いつもとは想像もつかないほどの違う年末年始 」の状況に
バタバタとやっつけ掃除や料理に向かう代わりに、もの案じの時間をいただけたことは
良き経験であったと思います。
痛いけども・・・
さて
今年も、このような構えで徒然なるまま
ゆっくりと記事を書いていくことになろうかと思います。
そして、今年は
きっと
『JYJ完全体に必ず会える!』との希望と期待と「待つ喜び」を胸に
ええ、それが12月であっても、(ジュンス~待ってるよ~!)
信じてやみません。
予定は未定、未来はなにがおこるか誰にも予測はできない、
確かに。
万が一先述の「希望」が『先送り』という事態が発生しても
またそこで自分の気持ちに向き合えばいい。
つまりは、
この7年もの間、JYJに関することで何が培われたのかというと
半端なき 『打たれ強さ』『辛抱強さ』『レジリエンス(弾力・復元力・強靭さ)』
そして併せて『冷静さ』も。
相容れない思いをもつ相手の言葉に動揺することもありましたが
ぶれない軸をもつことが、闘わずして闘い、勝ち負けではないけれど負けない、という
言ってみれば自分の価値観を見据え、心豊かに日々へ投影させればよいと
そのような境地へもたらしてくれるアーティストであり、作品である、
そのような境地にもたらしてくれた出会いであると
この節目に改めて綴っておこうと思った次第です。
もう3年、まだまだ3年
なんて今でも新鮮で喜ばしい思いが蘇ってくることでしょう。
ジェジュンが日本語でのインスタを上げてくれてるならば
また、日本語での楽曲を十分期待してよさそうですよね。
ジュンスが、仲間の皆さまと楽しそうに
警察隊としての真髄を保ちつつパフォーマンスする様に
復帰後も即戦力!と、期待できますよね。
大好きな ユチョン君。
自分の傷み苦しみ、図らずも自分に起こってしまったことに対峙する中で
元気になる素を(人間ですからね、『万能人』なんてそうはいないんです・・)糧に
自分のもつ最強の武器である「歌手・俳優」としての才に
ゆっくりと確実の立ち戻ってほしいなと思います。
そして、一途に待っているファンをどうか「重く」感じることなく
それも自分の「最強の武器」ぐらいに思っていただればと思います。
あなたが残してくれた「財布愛」で、心がしなやかに柔らかくなると
現在進行的に感じている人はたくさんいるのです。
「未来はきっと笑う」 そう信じて。
ということで
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様のご多幸を心よりお祈りいたします。






