北部九州の豪雨災害に遭われた皆さま

 

心よりお見舞い申し上げます。

 

そして、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

 

捜索活動をしようとする自衛隊や消防の方々の行く手をこれでもかと阻む

 

無情の雨を、なす術もなく固まってTV画面に見入るばかりでした・・・

 

 

 

 

私のふるさとの北九州市も河川の増水、低地の道路の冠水など、

 

不安な状況に陥りました。

 

幸いにも家族、親戚に特段のことはありませんでしたが

 

朝倉方面、日田方面の状況に、 胸が痛んでなりません・・・。

 

 

 

毎年どこかでこのような状況に陥る事態に

 

本当に天の非情を感じるばかりです。

 

明日は我が身かもしれない、災害の備えを見直し

 

今お困りの方へ、できる事は限られていても、

 

思い続けることは、いつ何時も同じだと思います。

 

未だ完全復興に向けて、日々闘いが続く皆さまへ

 

一市民としてできること、続けていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

仕事にばかり追われて、それが慢性化していた

 

自分の状況に、先週の半ば頃、「心理的な体調」を崩しかけた?

 

ような・・ ちょっと今までにない心理状態と呼吸の苦しさが襲い

 

当事者の自分と、それを俯瞰で見るような自分が解離した状態に

 

短い時間でおさまりましたが、『これはやばい・・・』と一瞬唖然としたことが

 

ありました。

 

「一生懸命に頑張ってきた自分の姿」ばかりをよすがにすると

 

それを認めてもらえなくなることに恐れおののき、自尊感情が著しく低下してしまう。

 

これは、その人それぞれの「性格」や「人格」、「個性」にもよるところでしょう。

 

また、生い立ちにも。

 

どんなに年をとって、達観したように見えても、「三つ子の魂百まで」とは

 

言い得て妙。

 

その自分の中の葛藤が、対外的な「評価」や「成果」を適切に受け止められない時に

 

想像以上にダメージがくるものだな・・・と、今は冷静にそう解釈できます。

 

片や、比較的意に介さず、『我が道をゆく、人の評価はあとからついてくるものだし、

 

気にしても仕方なし』と、思える方もおられることでしょう。

 

いささかうらやましく思えますが、自分を信じ、自分と腹をくくって付き合っていくしかない

 

今さら。。 こんなことを思った昨今でした。

 

 

 

 

なので

 

この土日は、持ち帰った仕事の最小限のことを行い、

 

合言葉は「ま、いっか・・」と決め

 

ひとつひとつを、なるべく丁寧にするようにしました。

 

そして、本を読んだり、父の初盆の提灯を選びに行ったり

 

お中元や、地域の清掃活動に・・と

 

あ、そうそう。AbemaTVでオクセジャやってるのを見たり^^*

 

 

穏やかな時間

 

そして、当たり前ではないかもしれない時間を

 

こうして過ごさせていただくことに、ただ感謝しつつ

 

明日もめぐってくる、怒涛の日々への英気をいただいた、という次第でした。

 

 

 

この記事にも

 

素直に心の琴線が震えました。

 

 

 

Yahoo!ニュース 早実・清宮首相「ライバル同士だが同志」/宣誓全文

 

「宣誓。私たちは野球を愛しています。私たちは野球に出会い、野球に魅せられ、野球によって様々な経験を重ねてこの場所に立っています。いよいよ今日から夢の舞台へのたった1枚の切符を得るための戦いが始まります。私たちは東東京、西東京の頂点を競うライバル同士ですが、同時に同じ夢を追いかける同志でもあります。青春のすべてをかけて戦うことができる幸せと喜びを、支えてくれるすべての皆様に感謝しながら、野球の素晴らしさが伝わるよう、野球の神様に愛されるように、全力で戦うことをここに誓います。」

 

 

真っ直ぐで素直な言葉です。

 

自分が心にしみた言葉や出来事を引用し

 

自分たちが身をゆだね、精魂込めて挑み続けるものを

 

「愛している」「愛されるよう」という言葉で表現する感性に拍手です。

 

 

「同志」である若者たち、同じ全国の高校球児

 

そして、競技種目やジャンルを問わず、

 

青春を傾け、自分の打ち込むものに挑み続け

 

夏が終わった若者たちも、それぞれ

 

照れることなく 

 

使うべき時に 「愛」という言葉を使えるといいな・・と

 

要らぬお世話の独り言。

 

 

 

先に書いた、「自己との葛藤」も

 

自分の中の厄介な部分や、人には言えないえぐい部分を見つめ

 

時に、人と接する際、決して穏やかではない心理状態と対峙して

 

乗り越えていかなければならないことがあります。

 

まあ、それは、ある意味「自己研鑽」の意味合いもあり、

 

「成長」にもつながるものではありますが、

 

世の中にある「理不尽さ」や 「不条理」なことを呑みこみ

 

人知れず苦渋にまみれた涙を流すような事態もあります。

 

 

 

世の中の汚さ。

 

なんでそんなに悪意をもって相手を攻撃するのだろうかと

 

「言論の自由(の過剰解釈)」と「思慮分別ある発言」との線引きも難しいと強烈に感じる

 

昨今。

 

 

だからこそ、真っ直ぐで素直な言葉がより響くのではないかと思います。

 

 

 

どうやっても

 

誹謗中傷としか思えない記事を書き続ける人はいなくはならないでしょう。

 

何がどう合い見舞ってその状況が生まれているのか知る由もありません。

 

なら、自分は自分の感性を磨いていく、それしかないと。

 

人間は「 弱った時 」にこそ、自分の「 強さ 」がどこにあるのかを

 

思い知らされるのではないかと思います。

 

 

 

「 愛しています 」

 

 

この言葉・・ 家族に面と向かっていうのはこはずかしい。

 

また、このリアルな近さはその言葉を選ばずとも

 

ノンバーバルな部分で十分に伝わるというものです。

 

 

 

では、リアルには果てしなく遠い

 

思いだけを飛ばすような存在には・・・

 

 

やはり、こうした形ででも

 

「愛しています」と 

 

綴ることに意味があると思います。

 

 

悪意に晒され続けても

 

逃げも隠れもせず、

 

公的な その場に立地続ける彼へ ただ

 

愛しています、との思いを

 

届けるのみ。

 

 

 

 

(私的な部分では・・ ファンそれぞれいろいろな思いを抱いているでしょうが)

 

「 おかえりなさい 」 を、最高の泣き笑いの表情でみんなと言えるように

 

 

あと50日を切りました。

 

 

彼自身の言葉を

 

穏やかに待ちたいと思う気持ちは

 

何ら 変わらない。

 

 

日々淡々と 時は流れゆくのみ。

 

 

ジェジュンのドラマを楽しみに

 

ジュンスの凛とした働きぶりに目を細めつつ

 

ユチョン。

 

笑顔で帰ってきてくださいな。。ひまわりひまわりひまわり

 

 

 

 

 

(いや~ オクセジャはやはり 素敵でした・・・ハートぃっぱぃ